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2016年1月3日 降誕節第2主日礼拝
「 恐れるな 小さな群れよ 」
榎本 栄次 牧師
ルカによる福音書 12章22-34節
私は今年の3月で75歳になります。これからの日々が我が人生の最終目的(END)に向かって最も重要なときだと考えています。心躍るものがあり、「高輝香麗」(コウキコウレイ)すなわち「高く輝き、麗しく香る」ように生きたいものです。
さてその基本についてお話ししましょう。今日のテキストの終わりに「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるからである」(12:34)という言葉があります。最終目標をどこに置くかです。この世ではなく、神の国にそれを置くようにすることです。
ある老人施設を訪ねたとき、一人の老婦人が物置の荷物を見に来られました。園長さんの話では、彼女は毎日のように物置を確認しに来るのだそうです。それは物置に預かっている小さな段ボールで、そこに彼女の最後の持ち物であるのです。その中身は、大した物ではないのですが、その小さな財産を確かめることが彼女の楽しみだったのでしょう。
この話を聞いて、何ともいえない哀れを感じたのですが、他人ごとではないと思いました。中身の違いはあっても小さな段ボールの品物はみな同じような物です。この世に残して置く物は持って行けない。まもなく人生が終わる。その限られた命は例外なしにすべての人の現実です。その中身が減っていないか。増えているか、一番の関心事であるとするなら余りにも悲しいではないか。財布の中身を毎日確かめながら死んでいく人生は滑稽でしょう。しかしだれもこのお婆さんを笑えません。この世の富は本当のものではない。神の国にあるという。それは何でしょうか。
私たちの命や持ち物を管理しているのは、私たちではないということです。主イエスは空の鳥や野の花を例にとって話されました。これらを守り育てている命の管理者は神様であること。そして神様のご意志があること。そこに富を積みなさいと言われます。野の花も、空の鳥も、ましてや私たち人間には神様の深い御意志がかかっている。その財産は、この地上に見える残された段ボールの中にはなく、神の国にあるのです。そこに富・最終目的があるからそれに心を向けなさいと教えています。もう命が消えゆくような人が、世界の平和を願い、基地の反対、核兵器反対の署名に声をあげておられる人がいる。この人たちは自分の段ボールに何があるかではなく、神のご意志に従おうとしているのでしょう。若い人たちも含めて、もう時間はない。すぐに終わりが来ます。その残された時を大切に過ごしましょう。
主イエスは「恐れるな。小さな群れよ」(32)と励まします。自分の小ささを嘆く必要はない。神様がいてくださる。神の国、神の御支配が始まっています。イエスの弟子たちは、自分たちの小ささに比べて遙かに大きな迫害と、その日の糧にも困るような現実がありました。彼らに「恐れるな」と言われるのです。神が共にいて下さるからです。それを基準に生きなさいと言われます。その小さな段ボールの中身で一喜一憂するのは止めて、尽きず汚れることのない神の国に富のあることを考え、そこを増やしましょう。信仰すれば晩ボールの中身が増えているという宗教は、自分が神様でしかありません。神の国とは、キリスト教の国を大きくしたり、教会を立派にすることではありません。それらも段ボールの中身です。それをひっくり返して神の国のために使いましょう。神の国は、神の御意志であり、正義と平和です。神は愛なり、そこにこそ人類の最終目的あります。今日、神様が養っていてくださることを感謝し、神様の御意志である神の国とその義を求めてこの年を歩んで行きましょう。
2016/1/3 恐れるな 小さな群れよ