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2015年12月20日 クリスマス特別礼拝
「 愚かな金持ち 」
榎本 栄次 牧師
ルカによる福音書 12章13-21節
本日のテキストには「愚かな金持ち」のたとえが語られています。群衆の中の一人が、「先生、わたしに遺産の相続をくれるように兄弟に言ってください」と主イエスに訴えました。たぶんこの人は兄弟から、遺産相続のことで不当な扱いを受けていたのでしょう。ここで主イエスは、その争いの調停人にならず、人間の所有欲や快楽主義について警告しています。
ある金持ちの畑が豊作でした。金持ちは「どうしよ。作物をしまっておく場所がない」と喜び悩んだ末、自分にこう言いました。「さあ、これから先何年も生きていくための蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。しかし神は彼に対して「愚かな者よ。今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、一体だれの物になるのか」と問い、「自分のために富んでも神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」と言われました。(13)
自分の幸せを願わない人はいない。しかしそれは人生の目的ではないのです。神の御心が成ることのために自分がいる。キリストが来られたのはそのことを指し示すためです。この世のことに執着し、それを最終目的にするとそこには愚かな金持ちの行く末と同じことになります。私たちの命が何時までも続くことを永遠の命というのではなく、神様の意志につながることです。
イエスの誕生物語はマタイとルカの二つの福音書に記されています。ルカによる福音書では、イエスの誕生がベツレヘムの馬小屋であったことと、その知らせを聞き、祝いに行ったのが夜野宿していた羊飼いたちであったことを紹介しています。すなわち貧しさの中に救い主としてお生まれになったキリストです。それを
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に敵う人にあれ」(ルカ2:14)
と天使たちに天の大軍が加わり、神を賛美しています。
それに対し、マタイによる福音書では、東の国の博士たちが輝く星に導かれユダヤのヘロデ王を訪ねます。「救い主はどこでお生まれになりましたか」と聞かれたヘロデ王は、博士をひそかに呼び寄せ「その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言って送り出しました。博士たちは星に輝くベツレヘムの家を発見し、イエスの誕生に出会い、祝いのプレゼントを差し上げました。博士たちは夢でお告げを受け、王のところへは戻らず、別の道を通って帰って行ったのでした。それを知った、ヘロデ王は、ベツレヘムとその周辺にいた2歳以下の男の子を一人残らず殺させました。豊かな王の愚かさです。それを
「ラマで聞こえた。悲しみに嘆き悲しむ声だ。ラケルは子どもたちのことで泣き、慰めてもらおうともせず、子どもたちがもういないからだ」(マタイ2:18)
と預言者エレミヤの言葉を引用しています。キリストの誕生を自分の貧しさの中に迎える人は、主を賛美します。それを豊かさの中に求める者は、キリストを退け周りの人を悲しませることになるでしょう。最終的な目的を自分に置く宗教は、偶像礼拝になります。教会が示すべき光は神の御支配です。この世界でうまく立ち回り、人よりも豊かにかっこよくなることではありません。神の御支配を迎え入れることこそクリスマスの喜びです。
2015/12/20 愚かな金持ち