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2015年11月29日 待降節第1主日礼拝 アドベント
「 今の時代 」
榎本 栄次 牧師
ルカによる福音書 11章29-36節
今日からアドヴェント(待降節)に入ります。救い主イエス・キリストがこの世に来られたそのよき知らせを「今ここで」聞くこと、その備えをする期間です。主が来られたことを祝うのは、2000年前にユダヤのベツレヘムでお生まれになったことを回顧してお祝いすることではなく、今の時代にその福音がもたらされたことを祝うのです。過去のことについてどんなに熱心であっても、それは作り話であったり、思い込みであったりもします。確かなのは「今ここに」です。今ここに神の御心が働いているという信仰に結びつかなかったとしたらどこかずれていて、空しいことで終わります。
主イエスが来られて、多くの奇跡を目の当たりにしていたユダヤ人やその信仰の指導者でしたが、そこに神のしるしを見つけることができずに、なお「天からのしるし」を求めイエスを試そうとしたのでした。それに対してイエスは「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」(29)と言われました。
ニネベの町は、神を恐れず罪深く大変堕落していました。神様がヨナをニネベに遣わして、「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれを呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている」(ヨナ書1:2)と家と命じました。しかし、ヨナは素直に従えず、逆のタルシシュに向かったのでした。舟が大荒れになってヨナは海に放り込まれました。ヨナは3日3晩魚の中にいて、深い悔い改めをしました。そして魚からはき出されたのがニネベの港でした。ヨナはニネベの都に入り、「後40日すれば、ニネベの町は滅びる」と叫んで歩いたのです。すると、これを聞いたニネベの人たちは王を先頭にすべての人が灰をかぶり悔い改めたのでした。そのために神はニネベの町を滅ぼすのを止めました。神の言葉を今ここで聞いて悔い改めたからです。「ヨナのしるし」というのはヨナの叫んだ言葉です。ユダヤ人たちはこの話をよく知っています。今ここにヨナが来てその言葉を聞かしてくれたら、自分たちもニネベの人たちと同じ行動をとりましょうと思っていました。
また、ソロモンの知恵は有名であり、シバの女王がソロモンの話を聞きこうとしてはるばるエジプトからやって来たのでした。この話もユダヤ人はよく知っていて、神の知恵を信じていたのです。自分たちもソロモンの知恵が欲しい、その言葉に聞き従いたいと願っていました。その限りにおいて彼らは神の前に正しくあろうとしていました。
ここで主イエスは、ヨナの話とソロモンの話を引用しながら「今の時代」について語るのです。「ここに、ソロモンにまさるものがある」「ヨナにまさるものがある」と言われました。これはイエス様ご自身がここに来ている現実を示すのです。神の子がここにいる。ソロモンや、ヨナのまさる事実がここにあり、その出来事に出会っている。にもかかわらず、遠くのことは信じながら今ここでは目が曇ってしまっているのです。「ソロモンにまさる人がいる」ではなく「ものがある」と表現するのは、イエスが来られているという事実をさすものです。
「今の時代のものはよこしまである」と断じる今は、現在、ここと言うことです。昔のこと、モーセやエリアのことはよく知っていてその示す神は信じている。けれども今ここにいるイエスは、神であるという証拠、しるしがないから信じられない。今ここで起きている事実について、神のみこころを見ることができないのです。それを邪悪な時代とされます。この時代がソロモンの時代よりも悪いというのではない。今という時代に神のみこころを認められないことが邪悪なのです。私たちはイエスを昔の物語としては受け入れています。しかし今ここ、この矛盾に満ちた現実か神と関係のない社会だとしています。そうではない。自弁たちのこの只中に主が来てくださっているということを認めることそれがアドヴェントです。
2015/11/29 今の時代