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2015年9月27日 聖霊降臨節第19主日礼拝
「 心の平安 」
松田 央 牧師
ローマの信徒への手紙 8章1-11節
聖書における根本的な罪とは、神との関係が破壊され、断絶してしまうことです。自分の心を神に向けていないこと、つまり神から離れることも罪であります。しかし私たちがキリストにしっかりと結ばれているならば、神様は私たちの罪をお許しになります(ローマ書3:24)。神は本来正しくない者を正しい者として認めて、受け入れて下さるのです。もしも皆さんが心の平安を求めるならば、キリスト・イエスに結ばれなければなりません。過去のすべての罪が許されなければ、本当の平安を感じることができません。したがって、キリスト教の根本的な救いとは、キリストに所属し、キリストと結合することです。神との結合はテオーシス(神化)といいますが、これはキリストという大きな命の一部になることです(ヨハネ15:5)。
霊の法則とは、人間に命をもたらす法則です。罪と死の法則とは、人間の罪の結果として死をもたらす法則です(ローマ8:2)。神と人間との関係が断絶することにより、死の運命が入り込んだのです。つまり、人間の命は限りのあるものになってしまったのです。
私たちが神の存在を信じることができなくなると、神の霊に敵対するものになるのです。しかしキリストは私たちと全く同じ人間をなられたのです。したがって、私たちはキリストを通して神の存在に気づくことができるのです。また私たちはキリストの生涯を学ぶことにより、自分がいかに神から離れた存在であるかを認識するのです。したがって「その肉において罪を罪として処断された」(同8:3)というのは、キリストという肉(人間存在)において自分の罪を自覚するということです。
薬師寺住職の高田好胤さん(故人)は、人間の心を傀儡(くぐつ)師の箱にたとえています。「人間の心は傀儡師の箱。鬼も出れば、仏も出る」。私たちの心はある時は鬼を出してみたり、ある時は仏を出してみたりするのです。ジキル博士とハイド氏のように同じ人間が仏になったり、鬼になったりするのです。キリスト教的にいえば、人間の心から悪魔も出れば、キリストも出ます。私たちは自分の能力によってキリストや神を信じているのではありません。聖霊の助けによって何とかキリストを信じることができるのです。自分の心からキリストを出すためには聖霊を持たなければなりません。
キリストと結ばれた人間の命はもはや自分自身の命ではありません。キリストそのものの命です。キリストと結ばれた人間は、キリストの命によって生きているのですから、キリストという宇宙よりも大きな命によって包まれて生きているのです。そのことに気づくならば、心の底から安らぎを感じることができるでしょう。
2015/9/27 心の平安