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2015年6月28日 聖霊降臨節第6主日礼拝
「嵐を静める主」
榎本 栄次 牧師
ルカによる福音書8章22-25節
今日のテキストのイエスが嵐を静めたという記事は、共観福音書・マタイ、マルコ、ルカそれぞれが共に取り上げているものであり、初代教会にとって重要な意味を持つ出来事として伝えられたものです。
「ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り『向こう岸に渡ろう』と言われたので」(22)船出しました。多くの病む人や悪霊に疲れた人たちをいやされ、詰めかけた群衆に囲まれて忙しい状況でした。召命のことを「呼びかける」callingと言います。イエスは「向こう岸に渡ろう」(未知の世界)と弟子たちに呼びかけました。信仰は今いるところから離れて主の示す新しいところに移るという応答から始まります。そこは安心と希望に満ちたところへの出発でした。
ところが、イエスが舟に乗り込まれた「その時」(マタイ:24)「突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった」のでした。イエスの言葉に聞き従ったら嵐が静まったというのではなく、逆に大嵐になり、舟が沈みそうになりました。これもまた信仰生活における現実です。モーセは神の言葉に従って出エジプトしましたが、すぐにエジプトの大軍の追跡に遭いました。行く手は大海原で、後ろは大軍です。頼るものはありません。神に泣きつくばかりです。
さらにこの大変な時に、「イエスは眠ってしまわれた」状態です。弟子たちはたまりかねて「先生、先生、おぼれそうです」とイエスに助けを求め揺り起こしました。主が眠っておられることは弟子たちにとって大きな不安と孤立を意味します。主イエスにすがりついた様子がうかがえます。これが祈りです。信じられない。祈れない。万策尽きた時、その時にも「主よ」と祈れることは幸いなことです。長年の経験がある漁師でも耐えられない恐れに襲われたのです。その時、主よ、と助けを求め、祈るのです。
「イエスが起き上がって風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった」(24)。大きな不安と混乱の中で、イエスの言葉はすべてを押さえ、静まりました。ここに人知を超えた主の権威と力が示されています。この世の一切がそれに従う権威です。
「主イエスは弟子たちに対して「あなたがたの信仰はどこにあるのか」(25)と諭されました。わたしが共にいるのに何をあわてふためいているのか、という諭しです。イエスを信じて従ってきたことですが、現実は厳しい嵐が待っています。そんな時、主は眠っていて頼りにならない、死にそうであわてふためくのです。そんな時弟子たちを救ったのが「イエスは主なり」という信仰と上からの助けでした。そこにすべてを静める力がありました。それは驚きであり大きな喜びでした。
主イエスが嵐を静められた奇跡は、迫害の嵐の中で困難なたたかいを続けていた初代教会の人たちにとって大きな慰めと新しい権威を経験することになりました。巨大な富と権力をほこる大ローマ帝国内の各地に点在する小さな教会の姿は、まさに嵐にほんろうされて沈みそうになっている小舟のそれでした。そのような困難と恐れの中で、何が彼らを支え、導いたかというと、上よりの力であり、聖霊による「イエスは主なり」という信仰告白でした。
今日私たちの現実もまた、嵐の中にさまよう小舟のようものです。そのような時静まって神に祈る時、そこに見えない神の存在があり、新しい平安をくださいます。
2015/6/28 嵐を静める主