今週の説教要旨

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2015年5月31日                                  聖霊降臨節第2主日礼拝

「知恵の正しさはその働きが証明する」 

榎本 栄次 牧師

ルカによる福音書7章18-31節

神はモーセにご自分のことを「あたしはあるという者だ」と名乗りました。(出エジプト記3:14) 「ある」という事実が私たちを導いてくれます。その逆ではありません。どんなにややこしいことも事実によって正されていきます。それこそ神の御心ですから。時には自分の納得のいかないことが事実として突きつけられるときがありますが、それは認めないわけにはいきません。宗教も派閥や学識もその前では沈黙させられるでしょう。
 バプテスマのヨハネが獄中から二人の弟子をイエスのところに送り、「来るべき方はあなたなのでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と問わせました。そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられました。それで、二人にこうお答えになりました。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を聞かされている」(22)
「誰を待つべきか」という問いかけに対して、イエスのなさっている働きと、そこでいやされている人たちのことを示して「知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される」と言っています。マタイによる福音書の平行記事では「その働きによって証明される」(マタイ11:19)となっています。「従うすべての人」も「働き」も同じ内容のことを指しています。すなわちキリストによっていやされ、命の回復を得た人々、イエスの弟子たちによってこの方こそ「待つべき人」であり、その知恵の正しさが証明されるということを示しています。その弟子たちの働きによって、キリストが証しされ、知恵の正しさが証明されるのです。それはキリストの働きと同時に弟子たちのそれを意味します。「女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」(28)。彼らは「天の国で最も小さな者」で欠点だらけです。目の見えない者であり、歩けない者、悪霊に悩まされている者、耳の聞こえない者、貧しい者たちです、世から見捨てられた者。その彼らがキリストの証人となるのです。彼らはいやされて終わりになるのではなく、キリストの証人となるためにいやされました。
 今日の教会もまた病んでおり、闇の中でうろついているような存在であり、そこにいる者たちも哀れまれるような人々です。にもかかわらず「天の国の民」とされ、キリストの証人とされた者です。ですから「従うすべての者」であり、「その働き」とされるのです。今日「誰を待つか」という問いの前で、教会と、キリストを信じ従う一人ひとりの「働き」によってキリストこそがそのお方であるということが私たちによって証明されるのです。
私たちが証明する主人公です。「目が見えるようになり」「歩けるようになり」「らい病が清められ」「耳が聞こえるようになり」「死んでいたのに生き返り」「貧しいときに福音を聞かされている」当事者たちです。この受け身が主の証人としての能動者となるのです。作り話や、派閥ではなく、主が働かれる事実があらゆるものを説得するのです。イエスによって見えるようにされた盲人が、イエスを認めない律法学者たちに対して「あの方が罪人であるかどうかはわたしには分かりません。ただ一つ知っているのは目の見えなかったわたしが、今は見えるということです」(ヨハネ9:25)今私たちに必要なのはこの事実の強さです。

日本基督教団 世光教会のご案内

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。