今週の説教要旨

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2015年3月29日                              受難節第6主日(棕梠の主日)

「新しい酒は新しい革袋に」 

榎本 栄次 牧師

ルカによる福音書5章33-39節

 今週一週間は、イースターまで受難週となっています。キリストがファリサイ人たちに捕らえられ、罪人の頭とされ、十字架にかかられ、復活されるまでの一週間です。この期間は特に主の御受難を覚えて克己に努める時です。主の苦しみは我がためであり、私の受けている苦しみが主の御受難に比べるならば、何ほどでもないことを自覚し、むしろその苦しみに預かることを喜びとするのです。
先週学んだ徴税人レビにとって、主イエスとの出会いは人生を全く新しくすることでした。その喜びは何にも代えれるものではない喜びであり、「何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。そして、イエスのために盛大な宴会を催した。」(5:28,30)というものでした。彼は仲間の徴税人や罪人とされている人々を呼んで盛大な宴会を開き、「飲んだり食ったり」しました。主イエスはその主役でした。
今日の聖書の箇所はそれに続くものです。この様子を見た人々は「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかしあなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています」と素直な疑問を投げかけました。これに対してイエスは「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなた方にできようか」(35)と問い返しています。ここで「花婿」とは主イエスのことであり、「客」はイエスに従う罪人たちのことです。宴会を催し客を招いているのはレビであり、客の中心はイエスですが、ここでは花婿の主イエスが主人公であり、客は従う弟子たちです。レビが宴会を催しているのですが、その根本原因は「花婿が共にいる」すなわち主イエスが共にいてくださるという大きな喜びが先行しているのです。断食か宴会かが問題なのではなく、いま救い主イエスが共にいてくださるという偉大な喜びが大事なのです。。
主イエスはこれをたとえ話で教えています。「だれも、新しい服から布切れを破り取って古い服に継ぎを当てたりはしない。・・・新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。・・新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなばならない」(36-39と。)
言うまでもなく「新しい布切れ」「新しいぶどう酒」は主イエスが来られたという現実です。このことはレビにとっては大きな喜びであり、全く予期しない人生の大転換でした。それは改良するようなものではなく、まさに「革新」(新しい革袋)でした。ですからレビはイエスのために大宴会を開いたのでしょう。罪人と言われる仲間を呼んで、婚礼の席のように飲めや歌えやの大騒ぎになったかも知れません。しかし一方でヨハネの弟子やファリサイ人たちは断食したり、祈りをしていました。当然「何をやっているのだ」という非難を浴びました。。祈りや断食は信仰表現の象徴でした。当然と言えば当然でしょう。ファリサイ派の人たちはこの地方を支配しています。罪人たちは出番ではありません。イエスは罪人たちと一緒に飲んだり食べたりしていました。主イエスの目はどこに向いているのでしょうか。ファリサイ人たちの視線でしょうか。それとも罪を許されて喜んでいる罪人たちでしょうか。主がわたしのところに来てくださった。この大きな出来事は、常識を破ることでした。主の福音を常識の中に閉じこめようとするとこの人たちは死んでしまいます。主が来てくださったという現実こそこの受難週に覚えたいと思います。

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。