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2015年2月15日 降誕節第8主日
「イエスの権威」
榎本 栄次 牧師
ルカによる福音書4章31-44節
イエスは故郷ナザレから40キロほどのガリラヤのカファルナウムという小さな村に下って行かれました。安息日に会堂に入り、村人と礼拝し、そこで教えられました。共観福音書はその時の様子を「人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(マタイ7:29、マルコ1;22、ルカ32)と表現しています。村人たちにとって、いつも説かれる律法学者たちの話は言い伝えやその解釈についての話が常でした。しかし、今聞いているイエスの言葉は、単なる話ではなく、話には出来事が伴う内容でした。それだけに直接的であり、生ける神との交わりを想起させるものでした。聞く人々の心に新しい出来事が起き始めるのでした。そこに権威を見、驚いたのです。
権威とは「遣わされた者」に与えられる力です。そのしゃべり方や知識の深さではなく、天からの力を受けた言葉を意味します。創世記1章3節に「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」これが権威です。、「天にまします」というのはこの権威に対する祈りです。
イエスのところに次々と課題を抱えた人が集まって来ました。人々が礼拝していたとき、ひとりの「汚れた悪霊に取りつかれた男」が「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と大声で叫びました。(34)この霊に向かってイエスが「黙れ、この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はこの人から出て行き、正常になりました。
次いで、イエスが会堂を去り、シモンの家に入ると、しゅうとめが高い熱に苦しんでいました。人々がイエスに頼んだので「熱をしかりつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がり、一同をもてなした」(39)ということです。さらに、日が暮れると、いろいろな病気で苦しんでいる者を抱えている人が皆、病人をイエスのところに連れて来ました。イエスはその一人ひとりに手を置いて癒されました。悪霊も出て行きました。このように主イエスの働きは神からの宣教であり、それ故に権威がありました。
「朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた」(42)とあります。おそらく夕方から始まって徹夜で病人の手当をなさったのでしょう。いまは、静かに祈るため山に退かれたようです。人々はイエスを探し当てて、自分たちの所から離れないように頼みました。しかし彼らの願いを退け、ほかの地域への宣教に遣わされていることを告げました。
ここで「イエスの権威」について考えてみたいのです。それは人の資質によるのではなく、天から来る力です。人のあらゆる権威や、知恵や努力は、その前で黙し、委ね、待ち、備え、愛し合うのです。またイエスの宣教は、徹底的に個人的でありつつ、徹底的に全体的であることです。主イエスは「今、ここに、この一人に」向かわれる方であり、ここを離れ「ほかの町に」も遣わされおられます。私たちはその前で、悪霊を離れ、新しく生かされるのです。
2015/2/15 イエスの権威