今週の説教要旨

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2015年2月1日                              降誕節第6主日

「誘惑を受けるイエス」 

榎本 栄次 牧師

ルカによる福音書4章1-13節

 信仰は神にゆだねることです。それは迷いと誘惑の中で最後のキイを神に開け渡し、信仰による勝利に生かされることです。
 主イエスはその宣教に先立ち、マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書は共に「荒れ野の誘惑」の記事を載せています。「さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、40日間、悪魔から誘惑を受けられた」(4:1-3)とあります。「荒れ野」「悪魔」「誘惑」は、「教会」「天使」「聖霊」などと反対の側にある概念です。洗礼を受け、聖霊に満たされに主イエスが、荒れ野の中を霊に引き回されたということです。40日間とは、イスラエルの出エジプトの40年間に通じるものです。それはまさに「荒れ野の40年間」でした。彼らはここで、神に委ねることを学んだのでした。「荒れ野」は人々にとって恐ろしいところです。空腹と、病と、孤独の世界です。人々はこの荒れ野でうめき、泣き叫び、救いを求め、孤独に怯えるのです。そこで悪魔はささやきかけてきます。
「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」(3)。パンはお金ともとれます。金さえあれば問題は全て解決するでしょう。モーセが率いるイスラエルの民は、荒れ野で食物が底をつき、人々はモーセに迫ります。「どうしてくれるのだ。エジプトの肉鍋が食べたい。こんなところで飢え死にさせるために我々を連れて来たのか」。モーセは泣き、神に祈り、天からのマナをいただいたのでした。(出エジプト記10:1以下)また、主イエスは飢えた5000人を五つのパンと二匹の魚で飽かせました。(ルカ9:10以下)空腹の時にパンの誘惑があるように、貧しさの中でお金の誘惑が来るのです。悪魔の誘惑に対して主イエスは「人はパンだけで生きるものではない。」とみ言葉で誘惑を退けました。
  次に悪魔は、イエスを高く引き上げて世界のすべての国々を見せて「もしわたしを拝むなら」「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう」(6,7)と誘いました。この世界を支配できる権威です。それがあれば、宣教も思いのままです。しかし、主の祈りに「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」とあります。悪魔にひれ伏してうまく世の中を渡ってもそのことで何もよくなりません。つい、偽の祝福で飾り立てようとします。それは一見、信仰の世界のようですが、悪魔の誘惑です。アブラハムはふるさとを出て神の約束の地、カナンに着きました。しかしそこは荒れ野であり祝福とはほど遠い大飢饉という現実が待っていました。そこで彼はエジプトに向かいました。一時、神の約束を横に置き、ファラオによって約束を実現しようとしたのです。偽の祝福をつくることであり、妻サライとの間に大きな矛盾をつくる結果となりました。(創世記12以下)主イエスは、「神にのみ仕えよ」とのみ言葉にとどまりました。
  そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて「神の子ならここから飛び降りてみよ」と言いました。人々が見て驚き、信じるだろうというのです。パンの奇跡を体験した人々が「わたしたちが信じるように、どんなしるしを行ってくださいますか」と聞きました。神の御業に触れていても気づかないのです。(ヨハネ6:30)これは神を試みる「テストする」ことで、試験管は自分で、うまく人を騙す神(偶像)です。
  主イエスは。み言葉の前で止まり、神の御支配に身を委ねることにより、悪魔の誘惑を退けました。祝福はそこから生まれるのです。

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。