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2015年1月18日 降誕節第4主日
「ヘロデの悲劇」
榎本 栄次 牧師
ルカによる福音書3章15-20節
バブテスマのヨハネは、メシアを待ち望んでいる人々から「もしかしたら、彼がメシアではないか」(ルカ3:15)と考えられていました。それに対して、ヨハネははっきりと否定して「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしはその方の履き物のひもを解く値打ちもない。その方は、火と聖霊であなた方に洗礼をお授けになる。」と言いました。「履き物のひもを解く」のは宿屋の僕の仕事です。ヨハネはそれ以下だというのです。すなわち自分を「救い主」とせず、キリストを指し示し、このことによってヨハネはその使命を果たし、生きたのです。
一方、領主ヘロデはこのヨハネを恐れました。彼の罪を責めたからです。当時ユダヤはローマの占領下にあり、ヘロデ王はローマの支配下でユダヤ人を治めるために「王」の地位をもらっていた人です。彼はローマの圧政の下、その顔色をうかがいながら、住民のをいじめながらその不満をかわし、住民の支持を得なければなりませんでした。それが自分の身分を安定させる条件であり、ローマとユダヤ人の間での矛盾の存在でした。ヨハネは、ヘロデ王が弟の妻ヘロディアを妻としたことを批判しました。その他の悪いことも遠慮せず指摘しました。そのためについに彼を捕らえて牢に入れました。最後にはヘロディアの要求でヨハネを殺してしまいます。こうして彼は自分の命を守ろうとして悪に悪を重ねていました。
彼はあるとき、ティルスとシドンの人々の不満に怒りを発しました。補助金をもらっていた彼らは、王のことを恐れて和解を願い出ました。王は機嫌を直して、王衣をつけ彼らに向かって演説をしました。人々は王をたたえて「神の声だ。人間の声ではない」と叫びました。ごますりと傲慢です。「するとたちまち主の天使がヘロデを打ち倒した」「神に栄光を帰さなかったからである」(使途言行禄12:20以下)と聖書は説明しています。「たちまち」ということは、「すぐに」というよりもこのことで本当の命を失ってしまったということでしょう。
アナニアとサフィアが財産をごまかしたことで「たちまちペトロの足下に倒れ」とあります。(使徒言行録3:1以下)命を失うのは神との関係が切れることです。
このようにルカ福音書は、ヨハネとヘロデを並記することにより、その違いを浮き彫りにしています。自分をメシアとせず、その方を指し示すことにより命を得た人と、かたや自分の命に固執し、自分のことを神と呼ばそうとする人です。ここに死に至る病があるのです。これが「ヘロデの悲劇」と言えるでしょう。
2015/1/18 ヘロデの悲劇