HOME > 今週の説教要旨
2014年12月28日 降誕節第1主日
「万民の救いのために」
榎本 栄次 牧師
ルカによる福音書2章22-38節
クリスマスおめでとうございます。信じる私たちのところに主が救い主として来てくださった喜びの日です。キリストの誕生は、ユダヤの片田舎で起きたことですが、ルカによる福音書によれば、この出来事は「民全体に与えられた大きな喜び」(10)とされています。それはダビデの町ベツレヘムでの馬小屋の中での出来事です。その知らせを野宿していた羊飼いたちが伝え聞き、見て、人々に伝えた最初の証言者となりました。
福音書によれば、これらの出来事は、世界の歴史の大きな動き無関係に起きていないことを示しています。ローマ帝国から発せられた勅令は、ヨセフとマリアをガリラヤのナザレからダビデの町ベツレヘムに追いやることになります。この勅令は、救い主にして、主なるキリストをダビデの町に生まれさせるという目に見える契機となっています。人間的な見方からすれば、それは単なる偶然と言えるでしょう。しかし、福音書は「父祖アブラハムとその子孫とをとこしえにあわれむと約束」されたことの実現であると告げるのです。(口語訳ルカ1:55)いま、その「しるし」として「布にくるまって、飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」(2:12)を見るのです。
福音書記者ルカは二番目の著作である使徒言行録において、「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」(28:31)と締めくくっています。先に、皇帝アウグストゥストが発布した人口調査を命じる勅令が、羊飼いたちの口から始まり、それがこだまして異邦人に広がり、元のローマへと帰ってきたことになります。
羊飼いたちが、自分たちに知らされたことを語り、神をあがめ、賛美した声は、その勅令に対する最初のこだまとなっていたのです。発布された人口調査は、その口実は立派であっても、目的は民衆に対する福祉や、善意から発せられたものではありません。ローマ帝国が過酷な税を一人も漏らさないように集める圧政の手法として発布したものです。誰からももれなく集める現在の消費税のようなものです。
身重のマリアにとっては、苦しみであり、夫ヨセフにとっても過酷な重荷でしかありません。しかし、彼らをベツレヘムに追いやることが、結果的に神の約束の成就、福音の出発、その広がりを生み出しているのです。そこからまた原点のローマに戻っていくという形です。
旧約の士師サムソンは「食べる者から食べ物がでた。強いものから甘いものが出た」(士師記14:14)となぞでペルシャ人を試しています。ルカが伝えるイエスの誕生物語もあるなぞが秘められています。それは「皇帝の勅令に羊飼いたちの賛美がこだまして、ベツレヘムから始まってローマに至る」というなぞです。そこで私たちに迫るのではないでしょうか。私たちはこれになんと答えるのでしょうか。「幼子のしるしよりも喜ばしいものに何があろう。神の国と主イエスの福音よりも強いものに何があろう」とルカと共に主を賛美するのです。
ベツレヘムの片田舎で、名もない貧しい一組の夫婦が、主に選ばれて救い主を誕生させました。彼らは遠く何の関係もない強い大きな力でそこに追いやられたのでした。しかしそれは、世界の救いに関わる出来事でした。為政者もまたそこでは主のご用に用いられています。その大きな出来事が不思議な光となって世界を照らすのです。キリストの誕生はここら始まり、今日私たちのところに届くのです。
2014/12/28 万民の救いのために