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2014年12月14日 Ⅲアドベント 待降節 第3主日
「アブラハムに立てられた誓い」
榎本 栄次 牧師
ルカによる福音書1章57-80節
クリスマスは神の約束の成就です。聖書は救い主が来られるという神の約束の書です。キリストの誕生はその実現です。主イエスの誕生物語に先駆けてバブテスマのヨハネの誕生が記されています。月が満ちて」とは、エリサベトのお産が近づいたということ以上に「神様の約束の成就」という意味が込められています。ヨハネの誕生物語は、イエスのそれに比べて非常に短いものです。(2節だけ)それはキリストに焦点を当てることに意味があるからです。
ザカリアは天の使いの告知に対して「何によって知ることができましょうか」(どうしてそのようなことがあり得ましょうか)と尋ねたことで、声が出なくなりました。この沈黙は不信仰に対する罰というより、黙して待つ時の意味が込められています。ヨハネが生まれて、八日目、「ヨハネ」の命名についても不思議なことがおきました。ものが言えないザカリアと妻エリサベトが同じ名前を希望したからです。神の不思議な働きでした。
ザカリアは今逃れようのない大きな力に捕らえられ、その圧倒的な働きの前で沈黙せざるを得ませんでした。絶対的な現実に触れた者は、自己の相対的な立場、一切が無に帰す畏れとおののきの中で言葉を失うのでした。ヨハネの命名がすむと、ザカリアの口は開け、聖霊に満たされて預言し出しました。この預言の特徴は自分の息子が誕生したことに起因しますが、その焦点はヨハネにはなく、神の約束の成就というところにおかれています。この賛歌は、交錯配列法(ティアリズム)の形式がとられています。すなわち68節から72節と、73節から78節までがちょうど折り返しになっているのです。
A訪れ(68b).B民(68b),C救い(69).D預言者(70).E敵(71).F手(71).G我らの先祖(72)
g我らの父(73).f手(74).e敵(74).d預言者(76).c救い(77).b民(77a).a訪れ(78a)
この配列の中心句は、「アブラハムに立てられた誓い」(73)です。その誓いの成就がキリストにおいて今、現実となろうとしている。幼子ヨハネはその先駆けとして誕生しているという喜びです。
イスラエルへの神の訪れにより、外的な敵から解放され、ザカリアは父祖アブラハムへ立てられた誓いを思い起こすのでした。(72-73)その根底から束縛を解放し、罪からの救いを確信したのです。アブラハムに立てた誓いとは何でしょうか。
「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、子孫を天の星のように、海の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国の民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである」(創世記22:16-18)
私たちは闇の中で、おびえながら敵の偉大さに比べ何とも情けないところに立たされている自分を見つめています。その時主が、私たちのところを訪ねてくださり、「我が民よ」と声をくださる。救いの言葉をかけてくださる。「どうしてそのようなことがあり得ましょうか」と問わざるを得ない状況です。そこで「神にはできないことは何もない」と言葉をくださったのです。私たちはその言葉の前で、ただ「御心がなりますように」と黙するしかありません。神の大きな御手により誓いが成就し、「私たちの主よ」との告白になります。そこから「清く正しい」歩みが始まります。
2014/12/14 アブラハムに立てられた誓い