HOME > 今週の説教要旨
2014年11月2日 降誕前 第8主日 永眠者記念日礼拝
「新天新地」
榎本 栄次 牧師
ヨハネの黙示録21章1-8節
私たちはこの世に生き、天における神の御支配を仰ぎつつ生きています。天と地の二つの異なる次元を見つつ、一つの次元を生きているのです。「萬物新」という言葉があります。世界が全く新しくなることです。それは自分をとりまく周りが新しくなるのではなく、自分が新しくされることによりすべてが変わることです。
ヨハネ黙示録は、終末の出来事として新天新地を予言します。黙示録20章では神の力によって退けられた悪魔(ゴグ、マゴグ)ですが、今日の21章では私と神様との間において新しい関係が生じることが記されています。「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。最初の天と最初の地とは去って行き、もはや海もなくなった。さらにわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た」(21:1-2)とあります。海というのは分からないところ、呪われたところとを意味します。その海が去って、「新天新地」が開かれたのです。それはどのような所でしょうか。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい都ってくださる」(3,4)「わたしはアルファでありオメガである」(6)と言われる方がそのようになさるのです。「今は、鏡におぼろに映ったもの見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせてみることになる」(コリント1、13:12)私たちはそのような時を仰ぎ見ながら、この時を生きているのです。やがて起きる事実を仰ぎ見ることにより、今、新天新地に生きるのです。
信仰は私の世界が砕かれて、神様が入ってくださるという出来事です。ここから全てが新しくなるのです。私たちの世界では悩みはつきません。どうしてと思われ、呪われたような苦しみに出会うことがあります。その苦しみから解放されたとしたらどんなに幸せなことでしょう。闇が霧の晴れるように無くなり、根本的に解決されるところ、今まで悩んでいたことが何だったのかと思われるようなところです。そこは「神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」(3-4)ところです。「わたしはその者の神となり、その者はわたしの子となる」
何ということでしょう。神である方が神となるという。どうやら神は決まった固定した教義や形の神であられるのではなく、変化する方のようです。ここで神は、私と共に住み、私の神となるというのです。すなわちこの事あのことを通して共に苦しんでくださる神です。どんな時代になってもこの世界からは涙はなくなることはないでしょう。親しい人との別れ、大事にしていたものを失い、思わぬ災難、大きな失敗、信頼していた人からの裏切りなど、人の悲しみは無くなるものではありません。それが無くなるのではかく、神によって解決されるということです。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケ 二5:16-17)というパウロの言葉は、キリストの故に可能になる世界です。キリストの十字架によって贖われるのです。苦しみが無くなるのではなく、それが喜びに変えられるのです。悲しみを神様の所に持っていくときにそれが大きな喜びになり、そこに開ける世界が新天新地です。
問題行動を起こした子どもが、指導されるとき、「どうして僕だけ」と悔やみますが、よい指導の後は、指導を受けてよかったと家族も本人も明るい顔になるのです。私たちだけが救われるといった不動産登記のような信仰は、自分の造った神であり、神の世界ではありません。私こそが天国から最も遠い者、ただ神の憐れみによるしかない。そこから神様の支配が始まります。
2014/11/2 新天新地