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2014年10月19日 聖霊降臨節第20主日
「海の砂の如く」
榎本 栄次 牧師
ヨハネの黙示録 20章
聖書は、その冒頭に「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」(創世記1:1,2)とあります。そもそもこの世界は、混沌と闇が包んでいるようです。その面を神の霊が被い、動いていたというのです。すなわちこの世界は。サタンと神の天使かのどちらかがせめぎ合っている、どちら一方がずっと支配するというのではなく、天使とサタンの力が入れ替わり立ち替わり、行ったり来たりしているようです。そのせめぎ合いの中で私たちは生きています。
今日の聖書にはキリストの復活後、「この千年が終わると、サタンはその牢から解放され、地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴクを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わそうとする。その数は海の砂のように多い」(7)とあります。キリストとその民の時代が続き、その後、悪魔が牢から解放されて、その手先が活躍を始める。その数は海の砂のように多くなるというのです。その絶望的なところに立たされますが、それも神の御心に被われているというのです。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40:8)のです。
ここでは、千年王国(ミレニアム)と言われる幻と、その後に来るサタンの支配の千年と、それに対する神の審判が述べられています。まず、一人の天使が降りてきて、悪魔やサタンである竜を取り押さえて、底なしの淵に投げ入れ封印したのでした。キリストは復活し、キリストのゆえに殺された人たちも復活し、「キリストと共に千年の間統治した」(4)のでした。しかしそれがいつまでも続くのではなく、いつかサタンの時がやってくることも告げられています。自分の納得のいく平和、悪い者がやっつけられ、正しい人だけが集まる社会、その様な世界を平和な世界として夢見ます。ここでは、それを「第一の復活」(6)と言っています。
千年王国が終わると、サタンが牢から解き放たれます。「その数は海の砂のように多い。彼らは地上の広い場所に攻め登って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都を囲んだ」(20:7-8)とあります。悪魔の働きは一時止められるが終わるものではないということです。平和の後、悪魔に囲まれその攻撃を受け、しかもその数は海の砂のように多いのです。そこでは絶望のような混沌が支配します。どう考えても太刀打ちのできないような状況に立たされます。しかしキリストにある者は恐れることはありません。神の霊がそれを覆ってくれているからです。神様は先刻そのことをご存じです。そこに耐え、それに対応すればいいのです。
ある社会体制を批判し、新しい社会を作り出すとき、その時代になると悪魔がいなくなったと思い違いをする。そうして前よりもひどい社会が生まれたりします。新しく夢見た制度が悪魔的であったのではなく、自分たちの中にも同じ悪魔があるのに、それを認めず神聖化してしまったところに間違いがあるのではないでしょうか。悪を告発はできる。しかしそれに代わって自分が立つときに同じ悪魔が自分の中にいるのを忘れてはならないのです。前よりも悪くなるかもしれません。
私たちは調子のいいときには、どのような困難が来ても乗り越えられるような気がして、気持ちも大きくなります。無菌状態を神の御支配される理想の場と考えます。何ものも恐れないような強気になります。しかし一度何か困難なことにぶつかると、全く希望を失ってしまい、それがいつまでも続くような気がするものです。
聖書は人の罪を示し、原罪と言います。私たちはそのままではこの罪の故に滅びるしかない者です。その贖いとしてキリストは十字架にかかり死んでくださいました。そして復活なさったのです。その復活によって罪に死に、新しく生かされます。海の砂のように多くの悪魔の働きも、天からの助けにより完全に克服勝利できるのです。それは私たちの中から来るものではありません。最終的に神の審判で解決されるのです。その時を信じつつ生きるのがキリスト者です。
2014/10/19 海の砂の如く