今週の説教要旨

HOME   >  今週の説教要旨

2014年9月28日                                   聖霊降臨節第17主日   

「罪から離れ去れ」 

榎本 栄次 牧師

ヨハネの黙示録  18章1-8節

 主の祈りに「試みにあわせず、悪より救い出したまえ」とあります。誘惑からは逃げるしかないということでしょう。実際私たちはそう強いものではありません。と戦って勝てるわけがありません。牧師になる前に、兄の保郎から「女と金には気を付けろよ」と注意されました。誘惑に弱い私を案じてのことだったのでしょう。サタンを避けて、キリストにより頼むしかないのです。
 黙示録18章は、前章に続いてバビロン(ローマ帝国)についての滅亡が預言されています。天使は力強く「倒れた。大バビロンは倒れた」と叫びました。それは彼女(バビロン)と「みだらな行いのぶどう酒を飲み」、「彼女の豪勢なぜいたくによって冨を築いた」全ての国の民、地上の王たち、地上の商人たちに対する警告です。
その原因は何かというと、皇帝礼拝と拝金主義による悪と手を結び、罪に罪を重ねたことです。それが「倒れた」と完了形で書かれていることは、将来起きるであろうことでありながら、確実に起きることを表現するものです。今富み栄えている一切は確実に滅び去るものです。この大バビロンとそれとみだらな関係にある者とは滅び去る。それ故に、そこから離れよと命じるのです。、この時代で言えばローマ帝国と皇帝ネロとその支配下にある国々を指しました。ここで注意しなければならないのは、彼らが私たちの対局にいるのではないということです。いちばん頼りになり、慕わしく、力強いものが、神のようになり、私たちを誘惑し悪に導くのです。
 それ故に神は、罪と贅沢に酔いしれている者に「わたしの民よ」と呼びかけ、「彼女から離れ去れ。 その罪に加わったり、その災いに巻き込まれたりしないようにせよ」(4)と命じておられます。「戦え」とは言わずに「離れ去れ」と言われる。離れ去ることは関係を断つことです。爆弾を抱えた人から離れ去れと言う警告です。会話も議論も交渉もしないことです。そのチャンネルを神の方に切り替えるのです。神ならぬものに頼るのを止めて、神により頼み、繋がることです。
 他方、離れることはまた神と共に入ることです。罪から離れることは、世捨て人になることではありません。H・コックスによれば、主がこの世に来られたのは、神の言葉の受肉(インカーネイション)を意味します。神がこの世のただ中に来られました。世俗化と世俗主義を区別しました。決別と土着を意味します。アブラハムはふるさとを離れて、約束の地カナンに入りました。
 信仰の世界にはこの世の中に入って受肉し、地の塩となり、世の光となる土着化と、反対に聖別すなわち、世の煩いから逃れることの二面があります。世の煩いに関わらないことは世俗主義の裏返しに過ぎません。この世にあって、神の声を聞きそれに従うことが世俗化であり、
罪から離れることです。そためには世から逃れなければならないのです。それがこの礼拝の時でもあります。いずれにしてもこの世でのことです。
 キリストは「神と等しい者であることを固守すべきこととは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました」。(フィリピ2:6)主はこの世を出られたのではありません。地上の誘惑から離れ、神の言葉に聞き従って、私たちの贖いとなって下さったのです。主は、荒れ野の誘惑を受けられたとき、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてある、言われると、「悪魔は離れ去った」とあります。(マタイ4:1-11)
子どもの世界においても「罪から離れる」ことは大きな課題です。小さな出来事にも彼らにしては大きなことであり、人生の大事件です。
 誘惑から逃げる力は互いに親しければ親しいだけ弱くなるのです。悪魔は、甘く優しく楽しいことをささやいてきます。その時、そこから離れ去れと言う声を聞ける人は幸いです。離れ去るとは神さまの所に逃れることです。
 私たちはここで、「わたしの民よ、彼女から離れ去れ」という御言葉をいただきました。古い自分(大バビロン)は滅んで新しい命に招かれるのです。神にのみ依り頼む者とされましょう。


音声をお聞きいただけます

2014/9/28 罪から離れ去れ

日本基督教団 世光教会のご案内

世光教会の礼拝に参加をしてみたいとお考えの方、キリスト教会は、キリスト教信者だけが集うところではありません。
厳かな雰囲気と温かみのある空間で、清々しい祈りの時間をお持ちいただけます。
小さなお子様づれでも安心してご参加ください。
また、信仰のこと、心に抱えている悩みごとなど相談したいことがございましたらご遠慮なくおいで下さい。
いつでも、皆さまのお越しを、心から歓迎いたします。
世光教会では、結婚式をはじめ、キリスト教による告別式など冠婚葬祭も心をこめておこなっています。

聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。