今週の説教要旨

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2014年8月17日               聖霊降臨節第11主日   

「主に栄光を」 

榎本 栄次 牧師

ヨハネの黙示録  14章

 私たちの命は、この世で終わらず、神の永遠につなげられて意味を持ちます。自分の人生について将来を予測することは不可能です。明日何が起きるか分かりません。しかしはっきりしていることは、世界の歴史も私たちの人生も神の支配の下にあり、やがて、神の裁きの前に立たされるということです。そのために歴史を終わりから見ることが求められます。バビロンの繁栄も、ローマの絶対的権力も、アメリカの世界支配も一時的なものであり、永遠ではなく、その意味は終わりから問われねばならないでしょう。エオドワルド・ローゼという人は「歴史の意味は、この終わりからのみ理解される。何故なら歴史は、次第に発展して成熟し、最後に完成に到達するのではない。むしろ終わりが、世界とあらゆる人間に対する裁きであり、この終わりこそ、世界の滅亡と神の新しい世界の開始である」と述べています。それは私から世界を見るのではなく、神の支配から今の私を見ることです。
黙示録14章には、まず小羊であるイエス・キリストと十四万四千人の教会の救いと勝利の歌が記されています。今は迫害に怯え、逃げまどっている弱い存在であるが、主イエスの権威ははっきりしており、全世界に鳴り響く声で「新しい歌」がうたわれます。それに続いて一人の御使が現れて全世界に向かって、永遠の福音を宣べ伝え、大声で叫びました。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい」(7)と。 
 神は人を一方的に裁かれるのを望まれません。必ず預言者を立て、人々が神に立ち帰るのを期待し待たれます。小さな出来事を通して本心に立つ機会を与えて下さいます。一人でも救われるように、神の救いに入れられるように、それに向かって生活を変えるようにと期待されます。そのために神はキリスト者をこの世に遣わされました。「このように一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」(ルカ15:10)しかし神の福音を聞きながら、心を頑なにする者には神の恐るべき怒りが下るほかないでしょう。8節以下にはその恐るべき裁きが示されています。
「倒れた。大バビロンが倒れた。怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませたこの都が」(8)。大バビロンの滅亡が預言されています。バビロンとは、メソポタニア、今のイラクのことで栄えていたバビロニアの首都で、創世記11章にあるバベルの塔の物語の背景になっているところです。このバビロンは、高度な文明と冨を誇っていましたが、宗教的邪悪と道徳的退廃の都市であり、黙示録では悪魔の象徴とされていたのです。黙示録でバビロンと言えばローマ帝国のことを指します。迫害下では名指しできなかったからこのような表現をするのです。ローマは当時、その強大な軍事力をもって世界を支配し、バックス・ロマーナ(ローマの平和)を実現していました。世界の人々がバックス・ロマーナの恩恵に浴しているとき、ローマの滅亡を宣言するとは何と驚くべきことでしょうか。彼らは終わりの時から今を見ていたからごく当然のことでした。「獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者」(9)皇帝礼拝で偶像礼拝をして、神に背いた者に対する神の怒りを宣言しています。それに対して、主にある者は、どのような苦しい人生であったとしても全てのことが祝福に繋がります。そこに永遠の命があるのです。苦しい障害も、辱めを受けた人生も主にある人の人生はそれらがみな栄光に繋がるのです。殉教の死を遂げた人々は、決して無駄なことはない「殉教者の血は教会の種」とも言われました。
 最も暗く苦しい現実にいる時に、それを覆っている聖霊と、やがて主にある希望、に思いをはせ、そこから今を見るのです。既に天において勝利された栄光の主を讃美するのです。




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2014/8/17 主に栄光を

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。