今週の説教要旨

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2014年6月22日 聖霊降臨節第3主日礼拝 

「この世と神の国」 

松田 央 牧師

ヘブライ人への手紙 1章1-4節 10章19-22節

 1章1-4節の部分では、ヘブライ書全体の根本的なテーマが書かれています。それはイエス・キリストが永遠の存在であり、信仰の基礎であるということです。また7章28節に書かれているようにこの書物ではイエス・キリストは永遠の大祭司として位置づけられています。ヘブライ書を正しく理解するためには、永遠の大祭司であるイエス・キリストが信仰の基礎であるという視点を持たなければなりません。
神が「御子によってわたしたちに語られました」(1:2)ということは、神の子イエスが単に神の言葉を伝える手段であったということではありません。神の言葉はイエスという人格の内に宿っていたのです。ヨハネ福音書1章では「いまだかつて、神を見たものはいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」と書かれています。聖書の神はあらゆる物質を超えた霊の存在ですから、私たち人間は神それ自体を見ることはできません。私たちにもわかるように神はあえて小さな存在となられたのです。それがイエス・キリストであります。大宇宙よりも大きな神が自ら小さくなって一人の人間イエスになられたのです。イエスを離れて、どこかに神を見いだそうとする人がいます。しかし、そのような試みはもはやキリスト教信仰とは無縁のものです。
神の子イエスが「神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れである」(1:3)ということは、神の本質がイエス様の人格において現実に輝くように現れたという意味になります。弟子たちはイエス様の人格に触れることによってこのような経験を持つことができたのです。当時イエス様の宣教活動において神様は現実に働いていたのです。そのことを目の当たりに見た弟子たちは、大きな衝撃を受けたに違いありません。
世の終わりという事柄は、宇宙全体の消滅ということとは違う次元に属するようです。つまり、簡単にいえば、聖書に述べられている神の国という世界は、物理学的な宇宙とは別の次元において存在しているということになるわけです。神の国は自然科学の知識においては認識されません。信仰を通してのみ経験できる世界であります。
エルサレム神殿の奥には聖所と至聖所という部屋がありました。至聖所というのは最も神聖な場所です。また垂れ幕というのは聖所と至聖所を区切るための幕を意味します。垂れ幕を通らなければ、至聖所に入れない構造になっていたのです。そしてクリスチャンにとって至聖所は神の国を意味します。またイエス様御自身が垂れ幕の役割を果たしているのです。つまり、イエス様の贖いを通して私たちは至聖所である神の国に入ることができるのです。新しい生きた道(10:20)とは、永遠の世界である神の国に通じる道を指しています。
十字架の贖いは歴史上、一回だけであり、永遠の効力を持っています。キリストは私たちの罪を根本的に打ち砕き、神に至る道を切り開いてくださったのです。しかもキリストは十字架の死の後、復活して永遠の存在となられました。したがってキリストは永遠の大祭司と呼ばれるのです。キリスト御自身が神殿の垂れ幕となってくださったので、私たちは安心してこの垂れ幕を通過することができます。ヘブライ書において神に近づくことは重要なテーマになっています。イエス・キリストが罪の意識という巨大な壁を打ち砕いてくださいました。したがって、キリストの恵みによって私たちは自由に神に近づくことができるのです。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。

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2014/6/22 この世と神の国

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。