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2014年6月1日
「ことごとく涙をぬぐい去って下さる方」
榎本 栄次 牧師
ヨハネ黙示録 7章1-17節
私たちの祈りの最後に、「イエス・キリストの名によって、アーメン」と言います。これはイエス・キリストの名のゆえに真実(アーメン)とされるということです。
ヨハネの黙示録7章には、終末への信仰の慰めが語られています。その時まで地上における弟子たちの忍耐が必要です。「自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なおしばらく待つように」(6:11)とあるように、その日までキリスト者の苦しみの数が必要とされています。「神の僕たちの額に刻印を押されてしまうまで」(7:3)待たねばなりません。その数は14万4千人。全イスラエルの12部族の中から各1万千人ずつ数えられています。キリストによる新しいイスラエルから。
黙示録の書かれた時代は、世界は平板な正方形のように考えられていました。地球が丸いと言うことが分かったのは、ずっと後の時代になってからのことです。その世界の4つの隅にみ使いが立っていて、「彼らは地の四方の風を引き止めて、地にも海にもすべての木にも吹き付けないようにしていた」。日本のようなそよ風とは違い、ここの風はアラビヤから吹いてくる熱風で、一度それが吹くと、木も草もすべてのものが枯れてしまうという恐ろしい風のことです。そういう恐ろしい風をみ使いが押しとどめているということです。
「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちがしるしを押してしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。それまでこの世界は続き、理不尽な苦しみもそのままです。
キリストを信じる人たちの群れは、新しいイスラエルです。そして彼らの苦しみと叫びが今襲ってきて、彼らを脅かしています。それをどう受け止めればいいのでしょうか。この悲しみの意味はあるのでしょうか。いつまで続くのでしょうか、と問うのです。神の僕たちが「額に刻印を押される」ことは、耐えがたい苦しみです。しかしそれは神の御心であり、その「数が満ちる」まで必要なことでした。それは意味のない犠牲ではなく、大きな慰めに通じる聖務です。イエス・キリストを通して、納得されることです。額に刻印を押された神の僕たちが14万4千人になるまで、すべてのキリスト者がその努めに呼び集められるのです。終末の時には誰も耐えることのできないような苦しみが襲ってきて、この世界が恐怖の中に包まれます。
同時にその時がキリストの時、栄光の時となります。キリストによる終末の時、「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くした」(14)と評価され、神の玉座の前におかれ「目から涙をことごとくぬぐわれる」(17)のです。終わりの時に、勝利の守りがあることが示されています。主により頼む者が救われ、慰めを受けることができます。「アーメン、賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなく私たちの神にあるように。アーメン」(12)。これは時間的な終末ばかりではなく、今現在における自分、限界状況の時にもその救いが現実となるとのです。これを現在終末論と言います。
「救いはみ座にいますわれらの神と小羊から来る」(10)。この告白がキリスト者の信仰です。涙をぬぐってくださってくださる方は、イエス・キリストです。戦争、飢餓、死、迫害、その他悲しみにつぐ悲しみ、この世の不条理を誰が説明してくれるのでしょうか。一時的な勝利も、気休めに過ぎない。この世のあらゆる力もこの不条理を説明することはできなかったのです。その鍵はイエスキリストを通し「アーメン」とされます。
2014/6/1 ことごとく涙をぬぐい去って下さる方