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2014年5月25日
「子羊の怒り」
榎本 栄次 牧師
ヨハネ黙示録 6章1-17節
イエス・キリストは罪人の私たちを救うためにご自分の命をささげてくださった。そこには底知れない深い愛と赦しがあります。どんなに惨めで弱く罪に汚れた者であっても、それを引き受けてくださった。このキリストの赦しによって私たちは生きた者とされるのです。その赦しの陰にはどこまでも許す無限の愛があり、その奥には十字架の血があることを忘れてはいけません。葬られた小羊は、犠牲の象徴ですが、同時に大きな怒りが隠されています。
黙示録6章では、7つの封印の内6つが小羊によって開かれます。第一の封印が開かれると白い馬が現れました。これはゼカリヤ書からの引用ですが、殉教のキリスト者の姿です。小羊が犠牲であるのに対して馬は力です。強力な権威であり神のように見えます。当時の権威の頂点にいたローマを指しています。「勝利の上に更に勝利を得ようとして出ていった」。それに比べ、キリスト者は小さく弱い小羊でした。ローマからの弾圧は止むことを知らず、その力は勝利に継ぐ勝利で、世界を支配していました。皇帝礼拝が強要されキリストを拝むものは処刑されました。
第二の封印が開かれると、赤い馬が現れました。「地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた」戦争の象徴です。福音の中には激しい戦いがあります。地の底に落ちた私を救い出すためにキリストは激しい戦いをしてくださいました。表面的な平和ではなく真の平和をもたらすために戦いが用意されています。キリスト者は武器を持たない戦いです。「イエスは主なり」の告白のために命を脅かされることになりました。赤い馬が暴れ、キリスト者をおそうのでした。
第三に黒い馬が現れました。「小麦は1コイニクスで1デナリオン」大変な物価高と不作による飢饉を象徴しています。そこには生まれ落ちた赤ん坊をさえ食べようとする母親の叫びがあります。絶望のどん底です。キリストに従ったがゆえに受ける辱めでした。「貧しさは」極度まで来ていましたが、彼らは互いに支え合って生きていました。自分たちの本国は天にありとして、貧しさの中で更に豊かにされました。
第四は、青白い馬が現れます。これは死を象徴しています。「地上の4分の1を支配し」「人を滅ぼす権威が与えられていた」。死ぬ前には助けてくれるだろうと思っていたのにそれもかなわない悲劇がありました。ついに、死のどん底です。主の叫び「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)です。参照 マタイ27:47、詩篇22:1
第五の封印が開かれると、「証しのために殺された人々」が現れて、「いつまで裁きを行わず、地に住むわたしたちの復讐をなさらないのですか」と問うています。こんなに苦しみ、耐え忍び戦っているのに、神様は何もなさらない。いつまでなのですかと問うのです。それに対して「仲間の僕である者たちの満ちるまで、なおしばらく待つように」と諭しています。それは神の怠慢ではなく忍耐です。私たちの忍耐でありながら、それ以上に主が耐え忍んでおられるのです。私たちのために耐えてくださった。それがキリストの贖罪です。それほど私たちの罪は重く深刻なのでした。
第六の封印が開かれると、天変地異が起こりついに小羊の怒りが爆発する。この怒りは、キリスト者が受けた苦しみと嘆きを引き受けるものです。その時、「山も島もその場所から移され、地上の王、高官、千人隊長、富める等が」みな「小羊の怒りからわたしたちをかくまってくれ」と言った。誰がそれに耐えられるでしょうか。小羊と怒りは無縁のようですが、主の十字架は無限の愛であるとともに、罪に対する神の怒りです。
この幻は、神はどこまでも忍耐し、私たちを救ってくださる。それは軍馬としてではなく、小羊として。弱いだめな私のところに来て、黄泉の世界まで付き合ってくださる。そのために全宇宙をかけた怒りをもって愛してくださるのです。サタンはこの私を恐ろしい権力と戦争と貧しさ死をもって、さらに地獄までも追い詰めてくる。しかしキリストの愛は私を放すことはできない。私たちはそれらに勝って余りあるのです。(ローマ8:37)その主の救い、愛にとどまりましょう。
2014/5/25 子羊の怒り