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2014年2月2日
「福音の前進」
榎本 栄次 牧師
フィリピの信徒への手紙1章 12-14節
パウロは、キリストに召されて使徒となった初代教会のリーダーの一人ですが、異邦人への福音宣教に先駆的な働きをした人です。紀元52年頃、一人のマケドニア人が「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と懇願する幻を見て、トロアスから船出して、ヨーロッパのネアポリスに上陸しフィリピに着いたのでした(使徒16)。そこは、ヨーロッパと小アジア境に位置し、ギリシャ北部の東マケドニア地方の有力な都市でした。フィリピの教会はパウロが設立した教会です。この書簡を「感謝と喜びの書」とも言われます。パウロにとって、「キリスト・イエスの僕」として宣教活動ができることが何より大きな喜びであり感謝でした。ここで多くの恵みを得たのですが、苦しいこともありました。不法な迫害に遭い、投獄された後追放されなければなりませんでした。ローマに移され、囚われの身となりました。ローマの獄中からフィリピの教会へ宛てた手紙が今日のフィリピの信徒への手紙です。パウロがここで「知ってほしい」(12)と願っていることは「福音の前進」です。パウロがその目的としていることであり、フィリピの人々の見る目、聞く耳、一番注意を注ぐべき観点のことです。彼にとっての一番の関心事は自分の浮き沈みではありません。福音の前進することでした。この課題こそ、使徒としてのパウロの生涯の主題そのものだったことでしょう。
それでは「福音の前進」とはどのようにして起こっていたのでしょうか。パウロが「福音」を「前進」させたのはありません。「福音」そのものが主語であり、主体として「前進」したのす。主イエス・キリストが前進したのであって、人間はその福音によって前進させていただくのです。「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない」(ルカ13:33)とあるように、わたしたちはその後に従うのです。
パウロが捕らえられ、投獄されているという情報は、フィリピの教会の人々にも深い衝撃となって伝えられていたことでしょう。その知らせは「福音」の停滞、敗北、後退として受け止められても不思議ではありません。少なくとも迫害している側にとってはそれが目的でした。そのように受け止めた人がいたことが、パウロにこの手紙を書かせた要因になっていたこともうかがえます。しかし、人間的には絶望的に思える投獄ということを通してさえも福音は前進したのです。パウロは、その不思議な事態を体験し、その「喜ばしい認識」をもって欲しいとフィリピの人々を促すのです。「わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい」(12)。パウロの投獄という人間的には非常に悲観的なことも、障害ではなく、むしろ「福音の前進に役立つ」ことでした。さらに言えば福音が前進するからパウロの投獄という事態も起こるのです。
これはパウロの独断や幻想や楽観的希望ではありません。パウロの投獄のその現場においてさえ、「兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で、・・御言葉を語るようになったのです」(13,14)フィリピ信徒への手紙が、喜びの書簡といわれるのは、福音の前進に自分が役立っているからです。福音は私たちの在りようと無関係に進むのではなく、その身に起こることを通して栄光を表してくださるのです。
人が本当の喜びとなるのは自分を捨てることのできる場を見つけたときでしょう。何かを得ることは嬉しいことですがそれは捨てるためです。福音の前進のために自らを奉仕できるものになりましょう。
2014/2/2 福音の前進