今週の説教要旨

HOME  >  説教要旨  >  2013年10月6日

2013年10月6日

「義なる神」 

榎本栄次 牧師

ホセア書 2章

榎本栄次 牧師

 聖書の神について「神は愛なり」ということと「義なる神」という命題が対立的に捉えられがちですが、両者の統一こそが互いの内容を保証する者です。許しの神と裁きの神が聖書の中に共存しています。優しさと厳しさ、許しと裁き、愛と憎しみ、和らぎと怒り、これらは対立する概念でありながら互いが他方によって成り立つ内容を持っているのです。怒りのない許しはないし、厳しさの無い優しさもありません。旧約の神が裁きの神で、新約の神が許しの神であるという説明がなされ、あたかも二種類の神がいるように誤解されがちですが、そうではありません。神は唯一であり、愛なる神はそれ故にまた怒りの神であり、裁きの神は同時に許しの神であられるのです。ホセア書には徹底した裁きと、徹底した許しとのからみで神を伝えています。

 ホセアの妻ゴメルは「愛人たちについて行こう。パンと水、羊毛と麻、オリーブ油と飲み物をくれる」(7)と言って夫のもとから他の男たちのところへ走りました。彼らとの間に3人の子をもうけたのです。ホセアはこの妻を許しません。その名をイズレエル(呪われた地)、次の女の子はロ・ルハマ(憐れまれぬ者)、3番目の次男にはロ・アンミ(わが民でない者)と名付けました。

 ホセアはこの妻の不義を決して曖昧にしません。それがホセアの愛でした。徹底的に彼女の行く先を邪魔します。彼女は快楽を求め、男たちのところに行くのですが、それは一時的なものであり、行く末は滅びでしかありませんでした。彼女は男たちに捨てられ、身に病を負い、倒れたときに、本心に帰るのです。ホセアはその時を待ち伏せています。

 ホセア深い悔い改めの末、戻ってきた妻を受け入れます。その時、子どもたちをイズレエル(神が種を蒔く・祝福の地)、ルハマ(憐れむもの)、アンミ(わが民)と呼ぶようになるのです。これが神の意志であり、目当てです。罪への非妥協を貫く神であり、同時にそれを丸ごと受け入れるお方でもあります。ゴメルがついて行った愛人は真実ではありません。やがて捨てられ偽りの神(バアル)であり、やがて消える泡(バブル)でしかありません。そのことに気付いた彼女は「初めの夫の元に帰ろう。あの時は、今より幸せだった」と夫の元に帰るのです。ホセアは彼女を新妻のように迎えました。神の裁きはイスラエルを滅ぼすためではなく、救い出すための裁きなのです。

 ホセアの預言は彼の個人的信条を告白しているだけではなく、その姿はそのままイスラエルという国家の姿でした。ホセアの時代は第二のダビデ時代を思わせるほどの繁栄を見せたのでした。その繁栄の影で人々の心は神さまから離れました。(パンを追うことは、お金を神のように崇めることです。彼らは今、一時的な偽りの繁栄に酔っており、物質を追い、貧しい人たちの声に耳を傾けず、人々を欺くのでした。「彼らはわが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに『平和、平和』と言う」(エレミヤ6:14)のでした。今、彼らを救う道は、バブルに沸くのではなく、夢が裏切られ、呪われ、偽りが明らかにされる事でした。物質を神のようにする物質中心になったイスラエルに悔い改めを迫るのでした。あたかも自分で大きくなったように思い、主を拒みバアルに膝をかがめたイスラエルは、魔術による不思議や、見えるきらびやかさや富を神として拝むのです。この穀物、新しい酒、オリーブ油には一人称単数の私と言う所有を現す語尾が付いています。神は罪に走るイスラエルを徹底的にさばくのです。そして貧しくするのです。彼らは窮地に落ちるのです。彼らを守る者はいなくなり、子どもたちは孤児のようになる。その時初めて本心に立ち返るイスラエルを待つのです。

 そして「アコルの谷を希望の門として与える」(17)。このアコルの谷というのは、イスラエルがアイの部族と戦ったとき惨敗した話です。(ヨシュア記7)それはアカンの犯した罪に原因していました。ぶんどり品をごまかしていたのです。神はその罪を決して見逃しませんでした。そのためにヨシュアはアカンとその一族を徹底的に滅ぼしたのです。彼らの痛ましい悔い改めでした。そのことによってイスラエルは神の許しを得、アイに大勝利したのです。

       

 今、イスラエルにとって必要なことは自分の不真実をうち砕くことです。キリストの「救い」の前に、罪をいい加減にして、曖昧にすることを許しと取り違えがちです。神の許しの前に自分で救ってしまおうとするのです。だから本当の悔い改めも救いも経験しないのです。私たちの救いは神が備えて待っていてくださいます。それに備え、待ちましょう。神との新しい救いの日が蘇りです。

      

日本基督教団 世光教会のご案内

世光教会の礼拝に参加をしてみたいとお考えの方、キリスト教会は、キリスト教信者だけが集うところではありません。
厳かな雰囲気と温かみのある空間で、清々しい祈りの時間をお持ちいただけます。
小さなお子様づれでも安心してご参加ください。
また、信仰のこと、心に抱えている悩みごとなど相談したいことがございましたらご遠慮なくおいで下さい。
いつでも、皆さまのお越しを、心から歓迎いたします。
世光教会では、結婚式をはじめ、キリスト教による告別式など冠婚葬祭も心をこめておこなっています。

聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。