今週の説教要旨

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2013年5月19日

「若者の叱責」 

榎本栄次 牧師

聖書 ヨブ記 32章 1-22節

 本日はペンテコステ(聖霊降臨)の礼拝を守っています。主イエスは復活され、度々弟子たちに現れその後天に昇られました。最後に、弟子たちに言い残されたことは「父の約束されたものを待ちなさい」(使徒1:4)ということでした。不安と恐れに弱く怯えている弟子たちでしたが、彼らは「心を合わせて熱心に祈っていた」(同1:14)。その彼らの所に聖霊が降りました。恐れが消えて、彼らは外に出て、他国の言葉で、イエスを宣べ伝え始めたのでした。これが教会の始まりです。教会の本質は受け身でなければなりません。主の助けを待つところです。聖霊を受けて始まるのです。復活は主の身に起きた出来事であり、ペンテコステにおいて弟子たちの出来事になり、さらに教会の出来事になったのです。

  

 ヨブ記31章の終わりで「ヨブは語り尽くした」。そして32章で「ここで、この3人はヨブに答えるのをやめた」とあります。3人の友人はヨブに言い負かされたのでしょう。そして「さて、エリフは怒った」(2)という言葉に出会います。突然、若者エリフの叱責があり37章まで続きます。エリフは、ヨブが自分の正しさを主張して譲らないのを見、更にそのヨブに対して年輩者である3人の友人たちは反論することができず黙ってしまった、そのふがいなさに対して怒りを爆発させるのでした。「見よ、わたしの腹は封じられたぶどう酒の袋、新しい酒で張り裂けんばかりの革袋のようだ」(19)と叫んでいます。

  

 エリフは先輩の3人に対して、「いい知恵がある。彼を負かすのは神であって人ではないと言おう」などと言ってはいけないと進言します。(13)かつてヨブは、神の祝福を受けて誰よりも幸せに暮らしていました。「正しい信仰に対して、神の祝福がある」という定式に対してサタンからの問題提起が起きたのでした。サタンは神に提案します。ヨブが神の前に無垢であるのは、神様が祝福されるからなのであって、祝福を奪って彼を呪ってごらんなさい。彼が無垢であることを止め、信仰など捨ててしまうでしょう。信仰も結局「金がすべて」であって利害に過ぎないというのです。神は「そうではない」ことを証明するためにサタンの提案を許します。神の許しが出て、サタンは彼の身にとんでもない不幸をもたらすのです。それを巡って、友人たちはヨブが罪を犯したからこのようなことが起きているのだと、従来の教理を説くのですが、ヨブは自分は悪いことをした覚えはない。この身に起きたことは神様がしていることだと言って譲りません。ヨブと友人の論争は31章で終わっています。ヨブ記において、エリフの出現は、後の加筆であるとされるのが一般的ですが、エリフもまた、ヨブ記になくてはならない重要な意味を含んでいるのです。

  

 カルヴァンによれば、このエリフの怒りは「正当な怒り」であると評価されています。ヨブの罪はどこにあるのかを射当てます。ヨブは3人との論争において、自分を全く罪のない、神よりも正しい者と主張しているのではなく、ただ、彼の苦難は罪の報いであるとする3人の友人の応報思想に対して反発をしているのだと言います。ヨブの苦しみは彼の罪の故ではない、そのことについてはヨブは正しい。然し、彼はその正しさを主張するあまり、忍耐を忘れ、つぶやいた。それが自分を神より正しいとすることになっているのです。

  

 カルヴァンは「神様が私たちを苦しめられる時、そこに神の善を見出さないならば、自分を神よりも正しい者としていることになる」と言います。ヨブも、自分が哀れな罪人であり、決して自分を神よりも正しい者ではないことは認めていながら、ひとたび神による苦しみに遭うと驚き、自分にどんな悪いところがあるのかと言ってつぶやくのです。その不平、反抗に陥っていることが自分を神よりも正しい者とするところにおいていることになるのです。そこにエリフの怒りがあるのです。

  

 だから私たちは常に、神は正しいこと、神のみは常に正しいことを覚えていなければなりません。そしていかなることにおいても神に栄光を帰することを学ばなければなりません。ヨブはここで若者エリフに叱りつけられるのですが、それが彼を神の前に整えさせるために、なくてはならない叱責なのです。

       

 イエス・キリストとの出会いを通して、「貧しい人たちは幸いである。悲しんでいる人たちは幸いである」と言えるのです。それは聖霊の助けにより深い悔い改めに導かれます。パウロは「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」と言っています。(コリント二7:10)この聖霊の働きを待つのが教会です。

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。