今週の説教要旨

HOME  >  説教要旨  >  2013年5月12日

2013年5月12日

「全き人になりなさい」 

榎本栄次 牧師

聖書 ヨブ記 31章 1-40節

 人のことをアンスローポスと言って「上を向く者」という意味があるそうです。「よくなりたい」「完全になろう」とするのが人だということです。それは「神に似る」「神の方に向く」という意味でもあります。しかしまた人は「土の塵」「空しい者」を本質とします。

  

 ヨブ記31章において、ヨブは自分の生き方を振り返って、「全き人」として生きてきた自分を主張しています。「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた」(1:1)とあるようにヨブは正しい人でした。神を畏れるからこそ、高い倫理観を持って生きていました。情欲を持って女性を見ることはせず(31:1)「隣人の妻に心奪われたり、門で待ち伏せたりしたことは、決してない」(9)。「奴隷たちの言い分を聞かず、はしための権利を拒んだことは、決してない」(13)。「貧しい人々、やもめやみなしごを失望させず、食べ物を与えた」(16-20)。 彼らに宿を貸し、「着る物もなく弱り果てている人や体を覆う物もない貧しい人を見過ごしにしたことは、決してない」(19)。また富に奢ることもしなかった。(24-25)「太陽の輝き、満ち欠ける月を仰いで密かに心を迷わせ、口づけを投げたことは、決してない」(27)。さらに、自分のことを憎む者の不幸を喜んだりしません。(29)このようなヨブはまさに主イエスが、山上の垂訓の中で言われたように「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなた方も完全な者になりなさい」(マタイ5:48)との御言葉をその通りの生き方をした人と言えるでしょう。

  

 しかし、なおヨブの欠点を探そうとするなら可能でしょう。例えば、自分が姦淫の罪を犯していたなら、「自分の妻が他の男に犯されてもよい」(10)などと言っていることは、妻を自分の所有物のように考え、人格を認めていない、大きな罪であるとも言えます。しかし、それは今日の感覚であり、それをヨブの時代に当てはめることは正しくありません。ここではそれが問題なのではありません。人が完全な生き方をすると、それで「全き人」になれるのかと言うことが問題なのです。

  

 ある時、一人の金持ちの青年がイエスの所に来て、「先生、永遠の命を得るためには、どんな善いことをすればよいでしょうか」と尋ねました(マタイ19:16以下)。主は「殺すな、姦淫するな、偽証をするな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい」と教えました。すると彼は「そういうことはみな守ってきました。まだ何がかけているのでしょうか」と尋ねました。イエスは彼に「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い貧しい人に施しなさい。・・そしてわたしに従いなさい」と言われました。すると彼は悲しみながら去って行ったのです。彼の後ろ姿を見ながら主は「金持ちが天の国に入るのは難しい。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだやさしい」と言われました。これを聞いた弟子たちは「それでは誰が救われるのだろうか」と尋ねました。その疑問は私たちも同じです。そうです。私たちはどんなに気張ったところで、自分では神の国に入ることはできないのです。「家、兄弟、姉妹、父、母、子ども、畑を捨てた者は皆、その百倍の報いを受ける」と言うことは、逆に言うと、それらで神の国に入ろうとしてもできないと言うことでしょう。自分の力で神の国に入る完全な者になろうとしても、できません。しかし「人間にはできないことであるが、神はなんでもできる」のです。

  

 主は「全き人になりなさい」と信仰者に要求されます。どうしてそんなことが可能でしょうか。私のできないことを要求されているのでしょうか。もしそうだとすれば、信仰はトリックです。

  

 神は決して私たちにできないことを要求して罪意識を持たせようとされる方ではありません。キリストにつながるときにそこに神のみ業がこの自分の身に起きるのです。自分の力でできることは所詮塵にしかずぎません。そこに聖霊が吹きかけられるときに生きた人になったように、神により頼み聖霊を受けなければならないのです。何を頼りにするか、です。私たち欠陥の多い小さな者が、神の聖霊をいただくときヨブ以上の人「天の国で一番小さな者でも、彼よりは偉大である」(マタイ11:11)とされるのです。そこに権威があるのです。

日本基督教団 世光教会のご案内

世光教会の礼拝に参加をしてみたいとお考えの方、キリスト教会は、キリスト教信者だけが集うところではありません。
厳かな雰囲気と温かみのある空間で、清々しい祈りの時間をお持ちいただけます。
小さなお子様づれでも安心してご参加ください。
また、信仰のこと、心に抱えている悩みごとなど相談したいことがございましたらご遠慮なくおいで下さい。
いつでも、皆さまのお越しを、心から歓迎いたします。
世光教会では、結婚式をはじめ、キリスト教による告別式など冠婚葬祭も心をこめておこなっています。

聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。