今週の説教要旨

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2013年2月3日

「神との和解」 

榎本栄次 牧師

聖書 ヨブ記22章 1-30節

 私たちは神との関係において、そのままではふさわしい状態にはなく断絶した関係にあります。これを原罪と言います。その関係を修復するためには贖いの仲保者が必要になります。そのために和解の使者として神の独り子イエス・キリストが遣わされたのです。私たちがキリストをお迎えすると言うことは、神と私たちの和解を意味します。これまで断絶していた関係が修復されて、命の息が通い始めることです。私たちがイエス・キリストに結びつけられ、そのことにより新しい命に生かされ、功利主義の奴隷から解放されて神との共働者とされることです。

 ヨブ記22章において、友人エリファズはヨブに対して第3ラウンドの攻撃を始めます。「なぜ、神に逆らう者が生き永らえ、年を重ねてなお、力を増し加えるのか」(21:7)というヨブの問いかけに対して、エリファズは従来の応報主義の神学を繰り返します。ヨブの問題提起に相当頭に来たのかも知れません。エリファズは激しい口調でヨブを攻撃します。

 人間がいかに小さな存在であるか、自分でよいことをしているつもりでもそれで神は益することは何もない。応報主義を説くエリファズは、神によって人が益するのであることを主張します。あなたが今苦しみに遭っているのは、孤児や幼子を苦しめ、貧しい人にひどいことをしたからに違いないと責めています。悔い改めなさい。そうしたら幸せがやってくると。まさしくこの事は「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか」(1:9)というサタンの宗教観と根底を共にするのです。これがサタンの言う宗教の功利主義です。人はここから解放されなければ救われないでしょう。

 エリファズの応報主義の神学からすれば、今体験しているヨブの不幸は、「甚だしく悪を行い、限りもなく不正を行った」(5)報いであり、その悪行を列挙します。ただしそれらは空鉄砲の非難悪口ばかりで具体性は何もありません。自分の立場が先にあって、そのために理屈を作り上げた「知恵の説教の硬直した冷たい論理」(ワイザー)でしかありません。そしてエリファズは、神に逆らう者がいかに不幸な目に遭うかを主張します。

 一転してエリファズはヨブに「優しく」呼びかけます。「神に従い、神と和解しなさい」と。(21) これは本当の神との和解ではなく、「神と一緒に利益をもうけよ」と言う内容です。(ワイザー訳)信仰的に聞こえながら実は巧妙な悪魔の誘いです。ここでエリファズの本音が出ています。それは、偶像による利益追求の道への誘惑です。真理を曲げて「仲直りする」ことは和解ではありません。ヨブはそれを拒否するから傲慢と責められます。神との和解は、人が神のために譲ることではなく、神の方から一方的に受けるしかないことです。神と和解したら幸せがやって来るというのは、神を自分の都合に遭わせて作り上げることであり、信仰を功利のためにおく悪魔の理屈です。

       

 アブラハムが神の約束の地カナンに入った時、そこにはひどい饑饉がありました。約束を待てなかったアブラムはエジプトのファラオのところに行ってその祝福を造ろうとしました。しかしそれは神の約束ではありません。彼は大きな犠牲を払うことになり、悔い改めて約束の地に戻ったのです。(創世記13章)彼はまた、サライとの間に子どもがなかったので女奴隷ハガルと関係してイシマエルと言う子どもをもうけました。これも自分の手で祝福の形を作ろうとした偶像です。(21章)

       

 神と人との和解はイエス・キリストにおいて初めて現実となったのです。私たちは「和解させていただく」(2コリント5:20)のであり、私たちが「悪かったから許してください」と言って和解するのではありません。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」(同5:17-18)「一人の方がすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちがもはや自分自身のために生きるのではなく、自分のために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」(同5:15)ここに神との和解があります。

                                            

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
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