今週の説教要旨

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2013年1月20日

「神の嗣業」 

榎本栄次 牧師

聖書 ヨブ記20章 1-29節

 主イエスは「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」(マタイ5:5)と言われました。柔和な人とは、打ち砕かれたという意味があります。土地でいうと、よく耕された(cultivate)土地のことです。農業(agriculture)や文化(culture)の語源です。神の国を受け継ぐ者には、打ち砕かれた柔和が求められます。

 ヨブ記20章は、友人ツォファルのヨブに対する反論です。彼はヨブのことを悪人と決めつけ、その末路を示しています。彼によれば、「神を無視する者」(ヨブのこと)(6)は、「貧しい者を虐げて見捨て、自ら建てもしない家を奪い取ったから。その腹は満足することを知らず、欲望から逃れられず、食い尽くして何も残さない。それゆえ、彼の繁栄は長く続かず、豊かさの極みにあって欠乏に陥り、すべて労苦する手が彼を襲う」(18-22)。「神に逆らう者が神から受ける分、神の命令による嗣業はこれだ」(23)と。その末路は惨めに消え失せてしまうと断言します。ツォファルは一般的常識に基づいてヨブのことを解釈します。現実に苦難に遭っているヨブのことを責め、その不幸の由来を解説しようとします。しかし信仰とは、今見えている状態から善悪を計るのではなく、現実の中にある神の御心を聞き取ることです。ツォファルはこの時、自分を神の座に置き、彼の苦しみを共有することができていません。教団や教義が神の座に着くと、現実の弱い魂は踏みにじられていきます。神様にとっては、教会が大切なのではなく、苦しんでいる一人の魂が大切なのです。

 今、ヨブはどんなに苦しんでいることでしょうか。最も惨めなところに座っています。ヨブにとっては、その時の具体的な苦しみよりも、神の名において断罪される心ない教義が彼を打ち砕くのです。ヨブはこのように悪人と決めつけられて、友人たちの非難にさらされているのですが、神様は何を考えておられるのでしょうか。そこにどのような意味があるのかという疑問が残ります。

 ある安息日に主イエスは、ファリサイ派の議員の家に食事に招かれました。(ルカ14:1-6)その時、一人の水腫を患っている人がいました。「人々はイエスの様子をうかがっていた」とあります。人々は何をうかがっていたのでしょうか。それはイエスがこの人を癒されるかどうかをうかがっていたのでしょう。一般論ではありません。時は安息日です。仕事をしてはいけないという教義があります。場所は、ファリサイ派の議員の家の食卓です。一方、イエスに出会い、今しかない救いを求めている弱い人がいます。ここで、この人の病を癒すことは、この偉い議員様のご機嫌を損なうことになります。主イエスは、教義や律法よりも愛を優先される方です。はたしてどうされるか、人々の関心はそこにあります。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」と人々に聞かれたけれども、だれも答えません。主イエスは「あなた方の中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」と言って、この人をいやしてあげました。この時、主イエスの未来が決定したと言っても過言ではありません。何とかしてイエスを救ってやろうというこの議員の懐柔策は打ち砕かれました。十字架への道が決定的になりました。「また後で」と言えなかったのです。主はここで実際に苦しんでいる人の側に座られました。そして「もし宴会の席に招かれたら末座に着け」と言われました。(ルカ14:7-11)この水腫を患う人を癒すことで、末座に着かれたのです。主は砕かれ、罪人という烙印を押されたのです。ここにキリストの愛があり、その柔和があります。

 ヨブの苦しみは、彼の罪に対する神からの罰ではなく、主の贖いの十字架に通じるものでした。人々は彼を離れ、非難し、彼に石をぶつけるのでしたが、そこに神の痛みがあることに気づかされます。その傷によって私たちは癒されたのです。ですから私たちは上座について人々から「いい人だ」とほめられることではなく、むしろ末座について人々から「ひどい人だ」と非難される所に着かねばなりません。その砕かれたところにこそ、神の嗣業の地があり、豊かな実が用意されています。

       

 「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。 ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」(申命記7:7-8)とある通りです。 自分が目を背けていた自分の中の小さなものに気をつけましょう。

                                            

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