今週の説教要旨

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2013年1月13日

「小さいものに気をつけよ」 

榎本栄次 牧師

聖書 ヨブ記19章 1-29節

 信仰とは私たちの中に可能性が全くなくなったとしても、なお神の側からの一方的な救いの御手があることを知り、その故に今という時を捉えなおすことです。私たちが塵のように価値のない者と見なされた時、家族も友人も皆遠ざかっていくかも知れません。自分自身も頼りにならなくなるでしょう。しかし神はそんなわたしになお語りかけ、寄り添ってくださる。そこにおいてこそ愛なるお方に出会える場がある。それは主イエス・キリストにおいて可能になることです。主は「これらの小さい者の一人を軽んじないように気をつけなさい」(マタイ18:10)と言われました。それはそこに行くと、「神のみ顔を仰いでいる天使」に会えるからです。

 ヨブは、自分の身に起こった不幸をサタンの仕業とは受け止めず、神の「非道なふるまい」(6)とします。「神はわたしに向かって怒りを燃やし、わたしを敵とされる。その軍勢は結集し、襲おうとして道を開き、わたしの天幕を囲んで陣を敷いた」(11,12)とするのです。それは神への強い抗議でありながら、同時に神への絶対的な信頼に裏付けられた信仰によるものでした。それはサタンの業ではなく、サタンを許してなさせた神の業とするところに、全知全能の神に対するヨブの信仰があります。「小さい者の一人を捜し出す」神による贖いを信じるのです。

 ヨブの不幸を見て、兄弟は遠ざかり、知人がいなくなり、親族からも見捨てられ、友だちも他人を装うのです。かつて自分の家で世話した人からも憎まれ、軽蔑される。使用人にも無視される。逆に彼らに憐れみを乞わなければならなくなったのでした。そのようになると、妻からは息が臭いと言われ、子どもや孫たちからも憎まれ、背を向けられる。別に助けてくれと言っていないのに親友の全てから忌み嫌われ、愛する人たちにも背かれたのでした。彼らは自分のことを見て「ざまあ見ろ」と罵るのが聞こえます。ヨブはこのような状態を「骨は皮膚と肉とにすがりつき、皮膚と歯ばかりになって、わたしは生き延びている」(21)と嘆いています。

 しかし信仰者ヨブは、そのような時に目覚めるのでした。「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついに塵の上に立たれるであろう」(25)。人が相手にしない、このような時だからこそ、彼は神を確信するのです。「塵から生まれ塵にかえる」今こそ、「この皮膚が損なわれようとも、この身をもってわたしは神を仰ぎ見るであろう」(26)と告白しています。

 自分の身に不幸が襲ったり、思い通りに行かなかったりした時、私たちの信仰が揺らぎます。不動の確信を誇っていた強さも消え失せてしまうでしょう。「信仰義認」などと言っていた信仰も跡形もなくなってしまうかもしれません。

       

 主はその時「小さなものを軽んじないように気をつけよ」と言われます。「気をつける」は可哀想だからではありません。そこに天使がいるからなのです。つい私たちは神様の祝福は、外見的に輝かしいことを連想します。その逆は余計なことで、できたら避けて通りたいように思います。「迷い出た羊」は困った存在であり、神の国にはふさわしくないように思います。パウロは「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります」(コリント一、11:27)と言います。それでは「ふさわしいもの」とはどんなことでしょうか。「空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末」(同17以下)のことです。それは貧しいこと資格のない者を排除する姿であり、キリストを拒否することです。それだと天使に会えません。だから「気をつけなさい」と言われているのです。

       

 「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。 ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」(申命記7:7-8)とある通りです。 自分が目を背けていた自分の中の小さなものに気をつけましょう。

                                            

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
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