今週の説教要旨

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2012年12月30日

「絶望から」 

榎本栄次 牧師

聖書 ヨブ記17章 1-16節

 2012年の最後の礼拝になりました。この年を振り返ると、良かったこと、苦しかったこと、願いが叶ったこと、思い通りに行かなかったことなどさまざまです。全てを通して神様が許し、導かれていることを思い感謝します。また新しい年、神の御心が進められますようにお祈りいたします。

 ヨブは苦しみの中で友人たちに、その胸のうちを吐露しますが、彼らから返ってきたものは苦しみを癒すものではなく、かえってそれを増すことにしかなりませんでした。そこでヨブはもう彼らを相手にするのは止めて、神ご自身に訴えるのでした。神さえも敵となる苦しみの中で、彼は絶望します。しかし彼は弱らない。ますます強くなるのです。どこからその力が湧くのでしょうか。

 ヨブは敵となっている神ご自身に、彼の弁護人また保証人を依頼する。自分を脅かしている元凶に保証人を依頼するのです。ここにヨブの強さがあります。否、それはヨブの強さではなく、神の強さにつながることです。人の保証人になることは慎重になります。ましてその相手が敵ならば、誰もその人に保証人や弁護人になって欲しいと頼まないでしょう。しかしヨブは神に対してそれをする。「あなた自ら保証人になって下さい。他の誰が、わたしの味方をしてくれましょう」(3)。

 「息は絶え、人生の日は尽きる。わたしには墓があるばかり」(1)と言わなければならない深い絶望の時です。信仰者が絶望状況におかれた時、それを直視できるのは、ただ神の助けによる時だけです。「あらゆる知恵の根本前提は、物事をまず第一にそのあるがままに見ることの出来る能力なのである」(ワイザー)。神を敵とみなすと言うことは、敵が敵ではない。この不幸は神の手の中にある、と言う深いところでの信頼に根ざしているのです。その信頼があるから、どんなに絶望が深くてもそれを直視できるのです。地上の一切の可能性が断たれた今、自分自身か、自分の家族に死を宣告されるようなとき、それを直視できない。まずそれを否定しようとするのです。しかし現実を直視できるところから本当のことが見えてきます。そこにはどんな慰めもごまかしもききません。そのどん底でこそ開かれる世界がヨブにはありました。それが神を保証人として立てるということです。ここにヨブの救いと希望があります。神の前での嘆きの深さは、同時に神への信頼の強さでもあるのです。

 「それはいかなる幻想も断ち切る、神の前での真実という勇気なのである」(ワイザー)。私たちはこれ程に自分の破れを神の前に打ち明け、本気で神の助けを求めているでしょうか。主イエスは、弟子たちに「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ16:24)と言われました。それは自分の弱さや現実の厳しさをひっさげて神のもとに行くことです。

       

 神は主イエスをわたしたちの保証人として立て、保証金を積んで贖ってくださったのです。これを贖罪と言います。主イエスは、私たちがどん底にあっても、そこでそれを突き上げてくださる力がある方です。だから現実を直視できるのです。真の知識が必要です。この子を助けたい、その一心で、どん底に立てるのです。自分の可能性にしがみついていたのではその贖いに与れません。そこには資格は要りません。そのままでいいのです。だから何も恐れることはない。そこには私たちを神の愛から離れさせるものは何もないのです。(ローマ8:37)

       

 「どこになお、わたしの希望はあるのか。誰が私に希望を見せてくれるのか」(15)「わたしは陰府に自分のための家を求め、その暗黒に寝床を整えた。墓穴に向かって『あなたはわたしの父』と言い、蛆虫に向かって『わたしの母、妹』と言う」(14)

       

 ヨブは、絶望の時、神の方からの一方的な平安を求めるのでした。自分の可能性の延長線に神の国があるのではない。それを棄て、神からの一方的な恵みにつながる関係が始まります。そこに真の喜びがあるのです。何という放棄、何という歓喜でしょうか。ヨブをここに立たせる神の御心はそこにあります。それは世から逃避するのではなく、しっかりと現実を見定めるのです。それが絶望であっても、主にある希望につながるのです。新しい年、主と共に希望を持って歩みましょう。

                                            

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
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