今週の説教要旨

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2012年9月2日

「破れ口に立つ者」

榎本栄次 牧師

聖書 ヨブ記 4章 1-21節

 人が困難に出会っているのを見て、一番やりやすい過ちは理想論を並べ立てることです。困って窮地に立たされている人に対して、相手の素性を責めたり、日頃から溜まっていた不満をぶつけたりしかできないのは、その人自身が力の無さを証明しているのです。そういう人に限って道徳的になったり、正論者で、形式論者なるのです。主の十字架には痛みがあり、そこに命があります。血と汗のない言葉には命がなく、時として人を殺します。

 ヨブの友人エリファズはヨブの状態を見て黙っていられなくなって語り始めました。ここで友人は正統な座から言葉をぶつけますが、ヨブにとっては慰めにはならず、傷ついている者を痛みつけ、さらに大きな障害をぶつけることになってしまうのです。

 友人は、ヨブが苦難の中でも弱音を吐かず信仰に堅く立っていて欲しかった。神に対して文句を言うような態度はとって欲しくなかったのでしょう。元気なときのヨブからは想像もつきません。「どうしてしまったの」ととまどい、このままではいけない、一言注意しないわけにはいかないと言うのでしょう。ヨブには苦しみの中にあっても、神を崇め、自分の罪を悔い、肉体は滅びても魂は生き生きとした姿勢をとっていて欲しかった。これぞ神の人という立派な姿を見せて欲しかったのです。

 然るに、ヨブはなんと浅はかなことでしょう。泣き言を言って、自分の罪を認めようとはせず、神に恨み辛みを述べ、自分の生を呪って、悔い改めようともしません。これは黙っていられない。

 「あえてひとこと言ってみよう。あなたを疲れさせるだろうが、誰がものを言わずにいられようか」(2)。最長老であるエリファズが口火を切りました。「知恵」と合理的な神学の代弁者として冷静な批判を投げかけます。以前のヨブは「多くの人を諭し、力を失った手を強めてきた。あなたの言葉は倒れる人を起こし、くずおれる膝に力を与えたものだった。だが、あなたの上に何事かがふりかかると(触れると)あなたは弱ってしまう。それがあなたの身に及ぶと、おびえる」「完全な道を歩むことがあなたの希望ではなかったのか」(3-6)と励まし、諭すのです。

       

 しかしこの忠告は、正しいようであるが、的を得ていません。間違っているだけではなく、有害でした。私たちにはヨブの叫びは不信仰に聞こえますが、ある種の慰めを覚えます。それに対して、エリファズの言葉は人を死なせるのです。

 エゼキエル13:5 に「あなたがたは主の日に戦いに立つため、破れ口にのぼらず、またイスラエルの家のために石がきを築こうともしない」という言葉があります。奴隷の状態であったイスラエルが、帰還したとき、自分たちの町を守る石垣が崩れて惨めな状態でした。理想とはかけ離れ、誰も寄りつかないような矛盾に満ちた状態でした。ある人たちは、その破れ口に立って、自分の家の前を修復しようとしたのですが、立派な学者たちは、破れを批判し、欠点ばかり指摘して、自分の手でよくしようとしませんでした。この人たちのことをエゼキエルは厳しく批判たのです。良いこと立派なことを言うけれども、そのために自分は手を貸そうとしないのです。その様な人は主の十字架を見ても同じことを言うのです。

                        

 人々は、主が十字架につかれた姿を見て、「神の子なら、自分を救ってみろ」(マタイ27:40)と嘲ったのでした。キリストの受難を彼の罪の結果としてしか見られなかったからです。「彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられた」(イザヤ53:5)のを知らなかったのです。痛みの中にある神の御心を見逃していたのです。

                        

 イエス様は私たちの敗れ口に立って下さる方です。そうして弁解してくれます。修復しようと呼びかけ、自ら批判を浴びてくださるのです。私たちはその主を仰ぎ見つつ互いにその破れ口に立つものでありたいと思います。

                                                 
               
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2012/9/2 「破れ口に立つ者」

                        

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