今週の説教要旨

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2012年7月8日

「大いなる問い」

榎本栄次 牧師

聖書 ヨブ記 1章 1-22節

 ヨブ記はコヘレトの言葉と並んで旧約聖書の知恵文学としてよく知られています。正統な教義に対して真正面から疑問を投げかけています。善いことをすれば幸せがくる、悪いことをすれば罰せられるという因果応報の正統派の教義に対して疑問を投げかけています。人はその行いに責任があり、その報いを受けなければならないと言うのが宗教一般の教えです。豊かな生活、平和な家庭、不動の地位、高い名声、健やかな身体、安定した暮らしが、神の祝福であり、その逆が罪に対する神からの裁きとするのは分かりやすい。しかし現実はそうでしょうか。自分の確信も含めてそこに大きな疑問がわきます。イエスの一番弟子であるペトロは「いかなることがあっても主を知らないなどとは申しません」と誓っていました。しかし、イエスが捕らえられると、3度も主を知らないと否定したのでした。神を信じた者が不幸になることは納得いかなかったのでしょう。

 人間は、自分さえしっかりしていれば非合理的な災いを避けることができると信じたいのです。しかし時として不可解な出来事に巻き込まれたときに、その平静さを失ってしまいます。なんにも問題のない時は、立派なことが言え、何かの躓きで取り乱している人を見ると、冷静な解説者になるのですが、いったん自分がその渦に巻き込まれると冷静ではいられなくなります。

 ヨブは地上のどの人よりも無垢で神の前に正しい人でした。そしてその証明のように、彼は富み栄え、家族愛に囲まれ幸せな日々を送っていました。彼はどんなに豊かになってもそのために傲慢になるようなことは全くありませんでした。その様なヨブを神は喜び、彼を愛し守りました。その様子について天上で神とサタンが会話を始めます。神はヨブのことを誇らしげに話しました。

 「どうだ、サタン、地上に彼ほど正しいものはいまい」。するとサタンは反論します。「ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうか。・・・御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません」(11)。結局人は御利益信仰で、その域を出ることなどできないはずだと。この世の中は金だ、結局金のためにやっているのだ。神を信じるのもそのためだ。もし神の故に不幸になるなら、誰も神を信じたりはしないだろう。「ヨブを打ってご覧なさい。あなたを呪うでしょう」。神はこのサタンの提案を許可しました。ここでサタンが神と共同歩調をとっていることは興味深いことです。神の命令を受けてサタンは動いています。神と悪魔、和解と破壊、義と不義、霊と肉という対立するものが、ここでは完全に一致します。

 神の命令を受けたサタンは、ヨブに襲いかかりました。ヨブは一夜にして幸福の絶頂から不幸のどん底に落とされました。近隣の敵による略奪と自然災害によって全家畜を失い、そこで働く人たち、さらに愛する息子、娘らが一夜にしてみな殺されてしまいました。これほど悲しいことがあるでしょうか。「どうして」と聞きたくなります。

       

 サタンは、ここでヨブは「きっと神を呪うだろう」と期待しました。しかし彼の期待は裏切られ「わたしは裸で母の体を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(21)と信仰告白を聞きました。完全なヨブの勝利でした。このようなときにもヨブは罪を犯さず、正しかった。ここで終わっていればヨブ記はめでたしめでたしでした。しかしサタンはさらに大きな試みを提案します。この「正しさ」はカッコ付きでした。これはほんの入り口でした。「義人ヨブ」と言われている間はどんなに苦しいことが起こっても耐えられるのでした。しかしあなたの不幸はあなたの罪によると言われるときに、彼の「正しさ」は崩壊します。本音を吐くと、正当な信仰は崩れてしまいます。その解決は天からくるでしょう。それまで待たなければなりません。それはとまどいともだえの時であり、またキリストの出会いのときです。

 人間を支えるのはなんでしょうか。お金でしょうか。名誉でしょうか、家族でしょうか、健康でしょうか。それらが正解を与えないところ、それらがみな奪い去られたとき、何が支えになるのでしょうか。その大いなる問いがヨブから出されます。そしてキリストに導かれるのです。

                                                 
               
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2012/7/8 「大いなる問い」

                        

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