今週の説教要旨

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2012年5月13日

「愚か者と呼ばれて」

榎本栄次 牧師

聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章 16-33節

 

榎本栄次 牧師 人を外見で判断しがちです。内容の豊かな人が、その外見で見分けがつかず、つい軽く見下していたりするとき、とんでもない失敗をしてしまうのです。その職業は、収入は、社会的地位は、推薦する人は、どんな人とつきあっているかというようなことで、価値を計ろうとします。それは愚かなことです。そしてまた自分を外見だけで飾ろうとすることはさらに愚かなことです。その人の内部から出てくるもの、本物をこそ磨きたいものです。

 人は誰でも誉められると嬉しいものです。誇りに関わることだからでしょう。パウロはこの誇りと言うことをとても大事にしています。「誇る」という言葉は新約聖書に37回用いられ、そのうちパウロの手紙に35回みられます。その半数以上の20回がコリントⅡに用いられています。そしてその20回のうちの17回が10章から12章に出てきます。パウロが誇りにこだわっていることが伺えます。

コリントの教会のにはパウロに反対する人たちがいて、彼らの多くは、「肉に従って誇って」(18)おり、「違った福音」を宣べ伝え、多くの人は「内面ではなく、外面を誇っている人々」(5:12)に聞き従っていました。更に教会の人たちはパウロに対する中傷を真に受けて、パウロの使徒であることを批判し、その非難は彼の生活費のことについてまで及んでいました。 パウロはこのような状態を嘆き、自分に対する非難についてよりもそのことによって彼らがパウロから離れ、彼の伝えた福音から逸れてしまっていることに心痛めます。怒り、憂い、涙して立ち向かうパウロの気迫が伝わってきます。「愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう」(21)と言いながら、「主の御心に従ってではなく」「肉に従って誇る」のでした。自分はイスラエル人であること、アブラハムの子孫であることなど、彼らの誇りとすることに負けまいとして、愚か者になり、誇りを数え始めます。

 しかしパウロは愚かになりきれません。自分を誇ることに徹しきれず、彼の誇りはいつしか苦難や失敗を数えることに移っていきます。自慢話から「キリストに仕える者」(23)として受けた苦難の数々を並べるのです。このことは教会の人たちにとっては意外なことでした。パウロが語るのは「キリストに仕える者」としての業績、教会形成の成功の列挙ではありません。その生まれ育ったエリートの歩みと同様に、華々しい業績を語ることもできたでしょう。が、彼の語ることは苦難の列挙でした。ユダヤ人及びローマ人による刑罰、枕することのない苦難な伝道の旅の生活「偽の兄弟たちからの難」そして何よりも「諸教会についての心配事」がありました。

「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」(29)

 彼は一人、賢く、正しく、強いところに立たず、弱っている人、つまずいている人の所に行って、つまずき、弱い者となり、愚か者と呼ばれたのでした。そのことを誇りとしました。

最後に、「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわることを誇りましょう」(30)と言います。初めは、愚か者のようになって彼らに負けないぞと、誇りを並べようとするのですが、その愚かさに気づき、彼らが軽蔑する失敗と思われること、愚かさと受け止められることを誇り始めるのでした。

「わたしたちはキリストのために愚か者になっていますが、あなたがたはキリストを信じて賢い者になっています。私たちは弱いが、あなたがたは強い。・・・今に至るまで、わたしたちは世の屑 、すべての者の滓とされています」(Ⅰ4:10-)「愚か者と呼ばれるとき」こそキリストに仕える者の姿であり、それを誇りとするのです。

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。