今週の説教要旨

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2011年12月11日

「涙の書簡」

榎本栄次 牧師

聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 2章1-4節

 アドベント第3週目の礼拝を守っています。ろうそくが3本灯りました。クリスマスのメッセージは「光は暗闇の中に輝いている」(ヨハネ1:5)です。主イエスは私たちの暗闇の中に光として来て下さいました。この暗闇があることを忘れてはいけません。ところで、今日の私たちの世界には暗闇がなくなりつつあるのではないでしょうか。原発はその証拠でしょう。どこに行っても光があります。真っ暗を経験するところがほとんどありません。それは果たして幸いなことと言えるのでしょうか。暗闇とか、静寂に耐えられない時代になっています。闇は、辛いこと、不可解なこと、責められること、孤立することなど祝福の反対側にある内容で、できれば避けて通りたい事柄です。だからまた本当の光が見られなくなっているのではないでしょうか。

   

 パウロは、キリストの「然り」を力としつつも、具体的にコリントの教会の人たちに大きな誤解を受けていました。そのために教会に深刻な分裂も見られました。コリントの教会との和解の可能性がとても不安でした。彼はトロアスで伝道に成功した(門が開かれた)けれども、テトスに会えなかったので予定を変更してマケドニアに出向きました。

 この時、使徒パウロの権威はぼろぼろでした。パウロに悪意を持つ人はとんでもないことを言い、彼を陥れようとしました。教会では不道徳なことも大手を振って行われ、それを反って新しい教えのように説く人々がいました。それを問うと孤立するから誰も批判できませんでした。闇を恐れたのです。ですから彼が書いた手紙は必ずしも歓迎されませんでした。反ってそのことでパウロに対する非難が増えたようです。パウロに対するその批判は、コリント行きを変更したことは無定見である(1:15)彼の手紙も福音も不明確であり(1:13-14,4:3)、人に躓きを与える(5:11以下)悪賢くて、教会からだまし取っている(7:7,12:16)。面と向かってはおとなしいが、離れていると気が強くなる(10:11)、弁舌はつたない(11:6)彼は使徒ではない(12:12)などなどです。彼のことを巡って教会は大変な混乱に陥りました。そこで彼は激しい怒りにも似た「涙の書簡」(2:4)を書きました。その内容はコリント第二の手紙全体にあるように厳しいものでした。何をより頼んでいくか、何を根拠にして立つかを明らかにします。そして彼らを厳しく責めました。誇りとするのはキリストひとりであるのに、その福音から逸れてしまっていることを涙ながらに攻撃したのです。

       

 彼がこの手紙の書簡を書いた理由は、「あなた方を悲しませるためではなく、私があなた方に対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためです」(4)と勧めています。パウロの激しいほどの攻撃は、「あふれるほどの愛」によるものであるということです。キリストにつながる者はどんなに苦労しようとも、人々からどんなことを言われようとも、今の評価とは関係なしに必ず栄光に変えられるというキリストにある確信でした。だから責め、闇をぶつけることができたのです。

      

 預言者イザヤは、「身よ、闇が地を閉ざし、光も黒雲に遮られて闇となる」(イザヤ5:30)と述べています。しっかりと目を開いて「暗闇を見よ」というのです。それは「それゆえ、主は御自分の民に向かって激しく怒り、御手を伸ばして、彼らを打たれた」(20)からでした。この預言を見るときに、ここには妥協が無く、激しい神の怒りだけが伝わって来ます。真っ暗闇です。

 教育の現場では、一人の生徒を巡って時には激しいやりとりが交わされます。かたくなに心を閉ざして決して妥協を許さない教師に出会うと、何と愛のないことよ、と嘆きたくなります。しかし彼こそ教育の場になくてはならない人です。彼は言います「最後は許してやろう、と思っていると、本当の出会いはできません。犯した過ちをしっかり見つめさせる。暗闇をぶつけるのです。救おうとしない。本気で暗闇をぶつけるのです。そうするとその子の中に力が出てきます。最後の手を離し、無責任になるのです。信じるのはそこからです」。

      

 暗闇から目を離さないでしっかりと見る。「あふれるほどの愛」を信じるからできることです。

                        
       

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
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