今週の説教要旨

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2011年12月4日

「わたしの誇り」

榎本栄次 牧師

聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 1章12-22節

 アドベントの日々を送っています。主が来られる備えの期間です。パウロが「ですから主が来られる日に、私たちにとってもあなた方が誇りであるように、あなた方にとっても私たちが誇りであることを十分に理解してほしい」(14)とあります。私たちの祈りは単なる祈念や信念ではありません。祈りの終わりに「イエス・キリストの名によって、アーメン」と言いますが、アーメンという意味は「然り」「真実」という意味であり、「イエス・キリストの名によって然りとなる」ということです。パウロは苦しみの中で、自分自身とその周りに絶望しながらも、それ故に、そこで、キリストによる然りに出会い、コリントの信徒へ向けて第二の手紙を送りました。彼の置かれた状況はとても誇れるようなものではなかったのですが、なんとそこにキリストの復活を見、遡って自分の現実を見たのです。その時に「アーメン、然り」と叫びました。そして彼の誇りは「主イエスの来られる日」となりました。

   

 1章の3節から7節までの間に「慰め」と言う言葉が9回も出てきます。それは、勇気が与えられるという意味で、あらゆる苦難の中でも勇気を持って立ち向かっていく力が与えられるということです。パウロの苦難が容易なものではなく、「生きる望みさえ失ってしまいました」と言うほどでした。そんな状況の中にあって勇気を得て立ち上がることが出来ました。それは自分の力や努力ではなく、周りの協力などではなく、上からの力によるものでした。「キリストの苦しみが満ちあふれて私たちにも及んでいるのと同じように、私たちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれている(プレローマ)からです。」(5)(参、エフェソ1:23)このように今も、教会の中にはキリストによるすべてのものが満ち満ちているために慰めがいっぱいなのです。

 パウロは、アジア(エフェソ〉で「死の宣告を受けた思い」(9)というほどの苦しみを受けました。その内容はどんなことかは定かではありませんが、とても誇れるようなものでなかったことは確かです。このことを通して、自分に頼ることなく、死者を復活させてくれるだろう神を頼みにしました。その時に、自分の現実が180度変わるのです。それまで苦労、恥、いやなことと思っていたことが、誇り、楽しみ、喜びに変えられたのです、キリストによる復活の力です。この経験は一時的なものではなく、未来に向かって終末的なものでありました。ですから誇りが湧いたのです。ここに立って、今もこれからも神様は共にいてくださるというのがパウロの揺るぎない大きな力となりました。

       

 自分の現実は、予定と外れてコリントに行くことを変更せざるを得ませんでした。それについて、コリントの教会の何人かは、「パウロの言うことはあてにならない。ころころ変わる。然りということがすぐに否となるような人で信用ならない」といった陰口もあったようです。彼はそのような人たちに対して、「然りが同時に否というようなことはない」と言っています。それは自分の言動についてではなく、キリスト・イエスを通して、すなわちこの方においては「然り」だけが実現したというのです。

      

 仕事を頼む時に手付け金を渡して、確かな依頼だという保証をするように、神は私たちのために聖霊をくださり、私たちが間違いのないものであるという保証をしてくださっているのです。私たちはそこに立つのです。「自分」について言うならば、言われる通りかもしれない。否それ以上惨めなものでしょう。また「あなたがた」についても、不信が取り巻いているのでした。しかし私たちの然りはキリストに依拠する然りです。そこに私自身について、またあなた方についての誇りがあるのです。教会の然りもまたそこに立って進むものでなければなりません。そここそ恵みが満ち満ちるのです。

  

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。