今週の説教要旨

HOME  >  説教要旨  >  2011年9月25日

2011年9月25日

物の判断について大人になること」

榎本栄次 牧師

聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 14章20節-25節

 信仰者の基本的な姿勢については神の側からの働きと、それに応える私達の務めの二面性があります。物事の判断では、何が原因であるかをはっきりさせることが大切です。電球が光を放っているのではなく電源につながっているから光るのです。電球がなければ光りませんが、その電源につながっていなければ話になりません。また電源ばかりを問題にして電球を問わなければ、これもまた空しいことになります。どちらが本当かと対立させて考えるべきことではありません。豊かな電流が流れているという保証の元で、さらに優れた電球が研究されるのです。信仰についても同じことが言えます。神様からの聖霊の働きがなければ、私たちの信仰の励みも空しいことに終わるでしょう。またキリストの救いも私たちの砕けた魂による信仰がなければ意味をなしません。

                      

 パウロはコリントの信徒への手紙で、「兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません」と基本的な姿勢を教えています。コリントの教会では、信仰の賜物について、張り合って争う気風があったようです。特に異言を誇ることで信仰の深浅のテストをしていました。それはまるで子供の競争のようでした。「悪事については幼子となり」とありますが「幼子」とは、「乳を飲ませて、まだ固い食物を与えていない」(3:2)子供のことです。悪については何も知らず、間が抜けていて、策略を立てたりできない、無邪気なお人好しでいいということでしょう。また人の悪事をいつまでも忘れないでいる人とならないようにすることです。幼子のようでいいのです。私たちはどうでしょうか。悪いことについて、虎視眈々とし、知者となり、人からいやなことをされたことについていつまでも忘れられないのではないでしょうか。科学者もまた、悪に染まらない幼子のような心を持っていなければなりません。遠藤周作の「お馬鹿さん」という小説がありますが、主人公のガストンの生き様は人に騙され利用されても、決して仕返しをしようとしないキリストの姿を表現したものです。そこには神の愛の裏付けがあります。

                  

 そしてパウロは「物の判断については大人となってください」と勧めています。「大人」とは一人で粋がるのではなく、完全を目指し、真理に基づく科学性を要求します。真理の前には単純な素直さが要求されます。自分の判断で完全を主張するのは非科学的であり、子供の争いになります。

                          

 主イエスは「私はあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(マタイ10:16)と教えました。パウロを初めとするキリストの使徒たちは狼の中に送り込まれた子羊のようでした。それだけに厳しい姿勢が求められました。キリスト者がこの世の中で宣教するときに、この両面を必要とします。神様から与えられる無限の愛、それへの無条件の素直さと、この世の中にある論理、物の成り立ちについて大人としての判断が要求されます。「神様がしてくださる」という信仰と、それ故に私達の務めを励むということは、対立することではありません。どのような困難なことに出会おうとも、「神共にいます」が力となりました。使徒パウロがコリントの人々に伝道したとき、恐ろしい迫害に遭い、人々の不信仰にがっかりしました。その時、幻で神の声を聞きました。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」(使徒18:9)

                  

 どのようなときにも、主が共にいて下さるのです。それゆえに物の判断について、大人としてしっかりと物事を判断できるものでありたいと思います。主の光を輝かせるのです。

                        
                     
音声をお聞きいただけます
                     

2011/9/25 「物の判断について大人になること」

                  
  

日本基督教団 世光教会のご案内

世光教会の礼拝に参加をしてみたいとお考えの方、キリスト教会は、キリスト教信者だけが集うところではありません。
厳かな雰囲気と温かみのある空間で、清々しい祈りの時間をお持ちいただけます。
小さなお子様づれでも安心してご参加ください。
また、信仰のこと、心に抱えている悩みごとなど相談したいことがございましたらご遠慮なくおいで下さい。
いつでも、皆さまのお越しを、心から歓迎いたします。
世光教会では、結婚式をはじめ、キリスト教による告別式など冠婚葬祭も心をこめておこなっています。

聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。